レジーナ・デューガン氏(左)と、グーグルのリック・オスターロー氏
Samantha Lee/Business Insider; Facebook; Ramin Talaie/Getty Images
3年ほど前、当時、グーグルの幹部で、最も有名な人物の1人だったレジーナ・デューガン(Regina Dugan)氏は、同社の開発者向けカンファレンス「Google I/O 2014」のステージに立ってこう宣言した。
彼女が率いる秘密のハードウェアグループが未来を構築している、と。
「小さな海賊軍団が成し遂げようとしている壮大な仕事を少しだけお見せしよう」
彼女は開発中の画期的なテクノロジー製品10数点を紹介し、チームの仕事ぶりをアピールした。
しかしデューガン氏は、もういない。同氏が集めたチームメンバーの一部はそのまま残ったものの、大胆なビジョンの実現に向けた歩みは速いとは言えない。
デューガン氏が率いていたグーグルの研究部門「アドバンスト・テクノロジー・アンド・プロダクツ(ATAP)」は現在も、グーグル本社のはずれにある専用ビルで開発に取り組んでいる。とはいえ、そのミッションや文化、精神は以前とはかなり変わってしまったと、ATAPの新旧メンバーがBusiness Insiderに語った。
「我々はもう海賊ではない。海賊の旗は下げられた」
現在のATAPは、突拍子もない研究開発プロジェクトに取り組むのではなく、すぐに市販化できる製品を送り出す製品開発部門のようだ。ATAPのエンジニアとソフトウェア開発者のチームは、コンシューマーハードウェア部門のセールススタッフと密接に連携するようになった。また、デューガン氏が率いていた頃は、何の心配もせずにプロジェクトを立ち上げ、予算も獲得できていたが、現在は厳密な手続きがあり、いかに「画期的か」という点のみならず、ビジネスとしての可能性も証明しなければならない。
現在、ATAPを統括しているのは、以前はデューガン氏に次ぐ立場にあったダン・カウフマン(Dan Kaufman)氏だ。同氏はデューガン氏と比べると控えめなタイプのリーダーで、できるだけ注目を浴びないよう気をつけていると関係者は語った。
ATAPの方針変更には、グーグルの方針変更が反映されている。グーグルは競争が激しく、変化の速いテクノロジー市場に順応しつつ、イノベーションと投資家が期待するような財務体制を両立させようとしている。手がけてきた他の画期的なプロジェクトの多くを別会社として独立させて、アルファベット傘下に組み入れた上で、グーグル自らは、これまで以上にコアビジネスに直結した取り組みに集中している。
グーグルのハードウェア部門責任者リック・オスターロー氏。現在ATAPは同氏の指揮下にある。
このことはATAPにとって、より大きなグーグルのハードウェア部門、つまり、スマートフォンからChromecastまで、さまざまな製品を作る部門に組み込まれることを意味する。同社のハードウェア部門を統括しているのは、元モトローラのCEOリック・オスターロー(Rick Osterloh)氏だ。
海賊と呼ばれていた頃のATAPは、グーグルのCEOピチャイ氏直属のチームだったが、今はオスターロー氏の指揮下にある。実際、ATAPの変革はほぼオスターロー氏のもとで行われたものだ。加えて、親会社アルファベットのCFOルース・ポラット(Ruth Porat)氏の影響も大きい。ポラットCFOは、ここ2年ほど同社に財務に対する新たな意識を浸透させるべく取り組んできた人物だと関係者は語った。
グーグルはこの件に関してコメントや、カウフマン氏とオスターロー氏へのインタビューも拒否した。
スクリーンのないスマートフォン
Business Insiderが取材した関係者のうち何人かは、ATAPメンバーの士気は以前と変わらず盛んだと語った。ATAPのミッションが変わったことで、Facebookで新たな職についたデューガン氏の後を追った人もいたが、残ったメンバーはATAPの変化を近年のグーグルを象徴した、大きな意味での進化の一部だと捉えている。また、新しいプロジェクトへのゴーサインを得るのが昔よりも難しくなったにせよ、胸がわくわくするようなさまざまなプロジェクトに取り組み、仕事は着実に進行しているという。
密かに進行中のプロジェクトの1つに、人間の感情を判断し反応する「アフェクティブ・コンピューティング」分野をベースにした小型端末がある。関係者の1人はこのプロジェクトを「スクリーンのないスマートフォン」の開発に例えた。ただし、別の関係者はこのプロジェクトにさほど関心がなく、クラウドファンディングで見かけるようなものだと述べた。
ATAPと連携はしていないが、MITメディアラボも、同様のアフェクティブ・コンピューティングをベースにしたプロジェクトを進行中だ。「タッチフォン(touch phone)」と名付けられた端末で、「タッチパネルを使って、ユーザーの身体反応をコンピューターに伝える。受信者のコンピュータの画面には色付きの小さなアイコンが表示され、アイコンは会話相手が手元のタッチパネル端末を使う様子に合わせてリアルタイムに変化する」
海賊と呼ばれた頃のATAPの紹介動画のスクリーンショット
ATAPは2017年秋、スマートジャケット「Jacquard」を発表する予定だ。生地をスワイプすると、スマートフォンが操作できるジャケットで価格は350ドル(約3万9000円)。デザインはリーバイスとのコラボレーションだ。JacquardはATAPが初めて単独で発表するプロジェクトで、もともとは2017年春に発表する予定だった。このプロジェクトの関係者は、秋には間に合うと自信を持っており、オスターロー氏も個人的に大変楽しみにしている様子だと語った。
ますます秘密主義に
グーグルは5月17日から3日間、開発者向けカンフェレンス「Google I/O 2017」を開催。正式スケジュールには過去2年のカンファレンスと異なり、ATAP独自のセッションはなかった。
リーダーの性格が違うため、ATAPも変化した。デューガン氏はグーグル最大のライバルであるFacebookに移り、似たようなグループを立ち上げている。多くの人はデューガン氏をATAPのカルチャーの中心と捉えてきた。彼女が去ったことで、ATAPには目に見える違いが現れている。
デューガン氏は、誰もがあっと驚く新プロジェクトを大々的に発表するスタイルを好んだ。それはFacebookでも変わっておらず、4月に行われた年次開発者会議の基調講演では「思考でタイプし、肌で言葉を聞く」ことを可能とするプロジェクトを披露した。
「DARPAのダン」という異名を持つダン・カウフマン氏。
REUTERS/Larry Downing
一方、オスターロー氏は正反対のアプローチをとり、公の場でプロトタイプをデモすることを控えている。ATAPの新しいリーダーは、プロジェクトを秘密にし、公表するとしても完成間近まで待つことにしたのだ。
「リック(オスターロー氏)は、情報を出さない人間という評判がある。彼はATAPの責任者になったとき、全スケジュールを変更した」と関係者は語った。
その人物によれば、ATAPは2016年、新プロジェクトを少なくとも1件発表することにしていたが、デューガン氏が去り、カウフマン氏とオスターロー氏が責任者になると、何もかもが再び秘密になった。また、オスターロー氏に近い別の関係者によると、彼は実現する見込みのない新しいプロジェクトや製品を発表して世間を騒がせることを嫌う。コンシューマーハードウェア部門から送り出される主力製品に世間の注目を集中させたいと考えているのだ。
カウフマン氏は、かつてアメリカ国防高等研究計画局(DARPA)でデューガン氏とともに働いてきた人物で、「DARPAのダン(ダンはカウフマン氏のファーストネーム)」という呼び名で親しまれている。彼は、オスターロー氏と並んでこの1年間、ATAPにおいて控えめだが重要な役割を担ってきた。
「カウフマン氏はデューガン氏よりもずっと物腰が柔らかい。スポットライトを浴びようとしないタイプだ」とある関係者は述べた。
カウフマン氏に近い人物によると、デューガン氏が新プロジェクトを披露する時に用いるような派手なやり方を彼は好まない。むしろ、部下を集中して仕事に取り組ませながら、新しいプロジェクトにゴーサインを出したり、その準備を行っている。
「私たちが引き続き、開発に取り組んでいくことは間違いない。ただ、完成よりもずっと前に公表することはもうないだろう」と関係者は語った。
プロジェクトの「卒業」や中止
現在のATAPのプロジェクトは、ハードウェアに関して、グーグル本体が持つ、より広い野望と足並みを揃えていかなくてはならない。その野望の柱になっているのは、同社のスマートフォン「Pixel」や、スマートスピーカー「Google Home」などのコンシューマー向け主力商品だ。そのためオスターロー氏は2016年9月、ATAPで最も注目を浴びていた「Project Ara」を打ち切った。端末を発表する直前のことで、グーグルではすでに、マーケティングの計画が立てられ、プロモーショングッズも用意されていた。
Araはモジュラー式のスマートフォンで、新しいカメラやプロセッサ、ヘルスセンサーなどのモジュールを交換すれば、デバイスを長い間、最新に保つことができるというものだった。大半の人はスマートフォンを1〜2年で買い替える。しかし、Araは耐久年数が5年で、機能を徐々に向上できるよう設計されていた。
「Project Ara」の端末。
Project Ara
しかし、Project Araは極めて資金のかかるプロジェクトで、2016年10月にローンチを控えていたPixelと直接競合するものだった。プロジェクトが中止されるほんの1カ月前まで、Araの開発は順調で、予定通り発売されるものだと関係者は聞かされていた。Araが中止になったのは、Pixel発売のおよそ1カ月半前だ。グーグルはのちに、Araで学んだことを活かし、そのテクノロジーを別のデバイスに転用できると述べた。
Araは、変わった外観で、主力製品とはとても言えないようなものだったが、ATAPが発表を予定していた唯一の製品ではない。Araの最初のバージョンは実験的だったかもしれないが、いずれはコンシューマー向けの主力製品にすることを目指していた。そのためAraの開発グループは、「iPhone」やサムスンの「Galaxy」に搭載されていそうな機能がすべて盛り込まれた高性能スマートフォンの開発にも携わっていた。ATAPメンバーの中には、Araが打ち切られたのはPixelとあまりにも競合したためだと考える人もいる。グーグルは、Araのテクノロジーは他のプロジェクトで活用できるとしているが、まだ実現には至っていない。
それなりの成功を収めたプロジェクトもある。「Project Tango」は電話やタブレットで空間を認識する技術で、今ではAndroidに搭載されている。「Spotlight Stories」は360度を見渡せるアニメ視聴用のアプリで、この技術を用いて視聴する短編アニメ『Pearl』は2017年のアカデミー短編アニメ賞にノミネートされた。さらに、うっ血性心不全を検知できるセンサーを開発した別のプロジェクトは、アルファベット傘下のライフサイエンス企業「べリリー(Verily)」に移された。
こうした動きは、ATAPが今後も新たなプロジェクトを手がけていくことを示している。2016年の採用者募集を見ると、ATAPがスマートフォン向けのソーシャルゲーム開発に取り組んでいることが分かる。これは「ポケモンGO」の成功を受けてのことだ。さらに、前述のアフェクティブ・コンピューティングを使ったデバイスもある。ほかに、小さなレーダー素子を使って、手のジェスチャー入力で端末を操作する技術「Project Soli」も引き続き進行中だ。
ATAPのガレージのシャッター。
その一方で、ATAPの新旧メンバーは、デューガン氏が去って以来、チーム内にはっきりとした変化が現れていると指摘する。製品の研究開発に重点を置くという当初の目的から離れ、主力製品を開発する部門へと変わりつつあるような気がすると語った。ATAPでは、新しいプロジェクトには2年という期限が課せられているが、そのルールは守られておらず、廃止される可能性もあるようだ。そればかりか、ATAPという区別がなくなり、メンバーもプロジェクトも、グーグルのハードウェア部門に同化してしまうのではないかとの憶測も飛び交っている。そうなれば、グーグルからの独立性という、メンバーが享受してきた自由が失われてしまうだろう。
しかし目下のところ、プロジェクトが実際に製品化される可能性の高い状況が続くか、メンバーがグーグルの他部門に向けて「卒業」できない限り、 ATAPは存続しそうだ。こうしたことは、ATAPの存在意義を正当化し、その野望を燃やし続けるためには必要だと考える人もいる。
(翻訳:遠藤康子/ガリレオ)