ニューヨークのブルックリン・ブルワリー(Brooklyn Brewery Corp.) との資本・業務提携を昨年10月に発表したキリン。1月下旬に始まった交渉をわずか9カ月でまとめあげ、キリンはアメリカで輸出No.1のクラフトビール・メーカーのパートナーとなった。当時、ブルックリン・ブルワリーにアプローチしていた企業は他にもあったようだが、交渉が長引けば、元AP通信・中東特派員で創業者のスティーブ・ヒンディ(Steve Hindy)はキリンの提案に首を振っていたかもしれない。
合意の鍵は、キリンの決断の早さと明確なクラフトビール戦略、そして交渉のテーブルを準備した交渉担当の存在だ。
キリンが株式の24.5%を取得したブルックリン・ブルワリーの醸造所
写真提供:キリン
ブルックリン・ブルワリーの株式の24.5%を買収した資本提携は、時価総額、売上高ともに2兆円を超えるキリンにとって、金額の上では少額投資だろう。世界大手が造る黄金色のピルスナービール市場では数千億円規模の買収合戦が続いた2016年、キリンはクラフトビールの長期戦を始めていた。
11年連続して縮小するピルスナーを中心とする日本の総ビール市場で、キリンは小規模なビール醸造所で職人が造るクラフトビールの需要開拓をすすめる。ビール事業戦略上、ブルックリン・ブルワリーとの契約は大きな意味を持つ。
2016年10月12日、2社は資本業務提携を発表した。ロイター、ブルームバーグ、ウォールストリート・ジャーナルが速報で報じると、日本に来ていたブルックリン・ブルワリー社長・ロビン・オッタウェイ(Robin Ottaway)の携帯には、数々の祝福メールが届いた。
そして、その横にはキリンの企画部・主査の根岸修一がいた。1993年の入社以来、洋酒やビールブランドを担当してきた根岸は現在、ブルックリン・ブルワリー・ジャパンのマーケティング・ディレクターを兼務する。
オッタウェイ兄弟が経営するブルックリン・ブルワリーは、クラフトビールの輸出で全米No.1
撮影:今村拓馬
1988年創業のブルックリン・ブルワリーは、クラフトビールの販売数量で全米12位、30カ国以上に輸出している。ロビンの父親のデービッド・オッタウェイ(David Ottaway)は元ワシントンポストのジャーナリストで、ヒンディ氏と共に創業当時からブルックリン・ブルワリーを支えてきた。そして、ロビンの兄のエリック(Eric Ottaway)が最高経営責任者(CEO)だ。
ブルックリンと代官山のコネクション
ブルックリン・ブルワリーがキリンを選んだ理由の1つは、キリンが東京・代官山で展開する「スプリングバレー・ブルワリー東京」の存在だ。現に、ブルックリンブルワリーの幹部は代官山の店に視察に訪れている。「職人がクラフトビールを造り出し、それを消費者に教育していきたいという姿勢の面で、ブルックリンとスプリングバレーは似ている」と根岸は話す。
代官山「スプリングバレー・ブルワリー」の醸造施設
撮影:今村拓馬
「クラフトは良い時間を作ってくれるものだと思う。モノではなくコト。楽しいイベントを体感する真ん中にクラフトビールがあるといったシーンを作っていきたい」。根岸はBUSINESS INSIDER JAPANとのインタビューで語った。「ピルスナーがごくごく飲むタイプのビールだとしたら、クラフトはたくさんの種類の中から自分のお気に入りを探して、じっくりと味わうタイプかもしれない」
醸造設備を備える代官山のスプリングバレー・ブルワリー東京では、6種類のそれぞれのビールに合わせたおつまみや肉料理、サラダを提供している。
キリンは昨年11月にブルックリン・ブルワリーへの出資を完了。日本国内でブルックリン・ブランドを展開する合弁会社ブルックリン・ブルワリー・ジャパンを2月に設立。3月には、20〜30歳代をターゲットに置き、「ブルックリン ラガー」(350ml缶・15L大樽)の全国発売を開始した。
「合意までのスピードは早かった」
ブルックリン・ブルワリーとの交渉のテーブルを準備をしたのは、当時キリンのアメリカ・ビールブランド事業を担当していた堀見和哉だ。堀見は2016年1月にブルックリン・ブルワリーを訪れ、CEOのエリック・オッタウェイと初めて顔を合わせる。ブルックリン・ブルワリーのブランドと商品力、造り方。キリンがクラフトビール戦略を拡大させる上で、ブルックリンから学ぶことは多い。堀見とエリックとの面会を皮切りに、2社は創業者のヒンディを中心とする正式な協議を開始させる。
ビールの「モノ」から「コト」へのシフトが進むと話す、キリン企画部・主査の根岸修一
撮影:佐藤茂
堀見は2004年にキリンに入社、法務部に4年間、在籍した。2008年に留学のため渡米し、ニューヨーク州の弁護士資格を取った。ペンシルバニア大学のロースクールに通い始めた堀見は、月に一度は大学のあるフィラデルフィアからニューヨークに足を運んだ。そこで、マンハッタンのレストランやバーでブルックリン・ブランドを楽しんだ。
2010年にキリンに戻ってきた堀見は、2012年の春にキリンビール企画部に異動すると、2015年にアメリカのキリンビールブランド事業を担当した。アメリカに出張する機会も多く、ブルックリン・ブルワリーと再会することになる。
「堀見が交渉をスムーズに進めた。本格的な協議は、堀見がエリックと会ってから始まった。合意までのスピードは速かった」と根岸は当時を語る。
キリンは5年前からクラフトビール戦略を加速化させている。
2012年に瓶入り「グランドキリン」を発売、2014年にヤッホーブルーイングと資本・業務提携を結び、2015年春にスプリングバレーブルワリーの展開を始めた。キリンのクラフトに対する思い入れとは対照的に、国内のピルスナーを主とするビール全体の市場は、言わば「バブル亡き」停滞したマーケットである。
代官山の「スプリングバレー・ブルワリー」では6種類のクラフトビールに合わせた料理を提供している。
撮影:今村拓馬
ビールを選ぶ時代を作る
2013年に2万キロリットルだったクラフト市場は、2016年に推定5万キロリットル弱まで拡大したが、国内ビール市場全体のシェアはわずか0.8%だ。
比較的低温で長期間、下面発酵酵母で発酵させる深みのある爽やかなピルスナーが主体のビール市場は、1994年のピーク時の700万キロリットルから20年で約180万キロリットルも減少している。「一番搾り」や「スーパードライ」「プレミアムモルツ」などが代表的なピルスナービールだ。
キリンは、クラフトの国内市場を2022年までに15万キロリットルまで拡大貢献したいとするが、ピルスナーの需要の下落を補うほどのクラフトの勢いはない。一方、アメリカの2016年のクラフト市場は235億ドル(約2兆6千億円)で、Brewers Association(醸造家、ブリュワーの非営利・業界団体)のデータによると、前年から10%増加した。全米のビールの総売上の約22%。現在、アメリカのクラフトビールのブリュワーの数は5200を超え、クラフトの需要の高まりに比例する。
根岸はこう話す。
「一歩一歩、やっていく。ただ、スピード感を持って進めていかなければならない。ビールを選ぶ消費者が増えてきているし、造る側もビールを選ぶ時代を作っていかなければならない」
(本文敬称略)