経産省ペーパー作成の若手官僚を直撃——なぜ彼らは結論部分を削除したのか

不安な個人、立ちすくむ国家

「不安な個人、立ちすくむ国家」の資料内のあるページ

作成:経済産業省

ネット上で大きな話題となった経産省の若手官僚たちによる文書「不安な個人、立ちすくむ国家〜モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか〜」は、賛否含めてなぜここまで反響を呼んだのか。「具体的な対策がない」との声も多かった文書には、実は削除された最後の数ページがあったという。なぜ、若手官僚たちは結論部分を削ったのか。実際に文書の作成に当たった中心メンバーに本音を聞いた。

通勤ラッシュのビジネスパーソン

モデルなき時代をどう生き抜くか

撮影:今村拓馬

「いつものように、ネットに埋もれて読まれないんだろうなと思っていたのが、翌朝に見てバズっていたので驚きました」

経産省の次官・若手プロジェクトのコアメンバーのひとり、産業資金課の須賀千鶴・総括補佐(36)は、産業構造審議会総会でのペーパー公開後の金曜日をそう振り返る。

霞が関ではパワーポイントを駆使し、あらゆる統計や情報を詰め込んだクオリティ高い資料が日々、量産される。その大半はインターネット上で公開されていても、ほとんど話題になることはない。

「正直、どうしてここまで話題になったんだろうと、逆に聞きたいくらいです」

自身もSNSで発信したとはいえ、産業人材政策室の藤岡雅美・室長補佐(29)も、賛否含めたここまでの盛り上がりは想定外だったという。

官僚たちのジレンマ

プロジェクトの始働は、昨年10月に遡る。公募で集められた男女30人の「次官・若手プロジェクト」に与えられたミッションは、「中長期的な政策の軸を考える」という非常に漠然としたものだった。

ただし、「次官」、つまり官僚組織のトップである事務次官の名前を掲げていることはつまり、霞が関の組織では「誰も反対しない、省内で認められた」プロジェクトを意味している。

こうして自由で機動力の高い議論の場が設けられ、あらゆる部局をまたいで、25歳から最年長で須賀氏の36歳という「役所では若手の部類に入る世代」(須賀氏)が集結した。

公募に手を挙げた根底には、既存システムや規定路線を踏襲することで乗り切れてしまう、日々の仕事へのくすぶる違和感があったという。

従来、官僚の政策立案は「何が将来のためなのか、国民的合意は得られるのか」を考える際に、「ある程度、事前に評価できた範囲でやる」というのが“常識”だった。

「ただ、本当は合意があるかどうか、わからないエリアがものすごく広くなっている気がしていました」

須賀氏はゆっくり言葉を選びながら話した。

高齢者だったり中小企業への減税だったり、規定路線にリソース(財源)を割くことについて、大きなハードルはない。しかし、いったん貼ったリソースをはがしたり、若者や人材投資など新たな分野だったりについては、

「どうしても及び腰になるし、霞が関でも永田町でも喧々諤々(けんけんがくがく)があって、通る確率は低くなる。そうするとみんなそこにリソースを貼らなくなってしまう。目の前のことや、みんなが賛成するのが明らかなことをやった方がラクなんですね」

須賀氏は霞が関の「現実」についてそう明かす。

「でも、やはりそれは逃げだと思っていて、本当に重要なことはやりたい。ここについてみなさんは本当はどう思っているの? 合意は本当にない? と、ずっと問いたかった」

今のシステムをどうするのか

20代の藤岡氏も、1〜2割の改善で評価されるような、目の前の仕事に忙殺される日々にどこか疑問を感じていた。

「改善や効率化は、既存のシステムが議論の発射台です。けれど本来は、全体を見渡したうえで、今のシステムをどうするかという思考プロセスが必要なはずだと思っていました」

「うっすらみんな違うなあと思っているのに、踏み込まなくても日々の仕事は成り立ってしまう。そのことに霞が関の若手はみんな、若手でなくとも心ある人はみんな、悩んでいる」(須賀氏)。

こうして須賀氏、藤岡氏はじめ30人の若手官僚が集まった。

65ページの文書の作成にかけた熱量は相当なものだ。半年以上にわたり、毎週1回の定例ミーティングを最低2時間開き、週末には合宿もした。深夜に及ぶロングミーティングも回数を重ね、次官とのディスカッションだけでも50時間をかけた。東京大学の教授陣をはじめ、識者とも議論を交わし、省内の実務責任者が相談役にもなった。

ペーパーを見て話し合う須賀氏と藤岡氏

プロジェクトに参加した須賀氏と藤岡氏。メンバーは膨大な量の議論を重ねたという。

撮影:滝川麻衣子

結論を書かなかった理由

5月18日の公開直後からまたたく間に拡散されたこの文書だが、「具体的に何をするのか分からない」「政策提言に落とし込めていない」「よくある話を一つの資料にまとめただけ」と、手厳しい反応も少なくない。

具体策がないとの批判がとくに目立つのは「日本がアジア諸国に20年先駆けた高齢化を経験している」ことを示すグラフを見せて、ぶった切ったように終わる最終ページも一因かもしれない。文書の流れからは少々、唐突に感じられる。

これについて2人は、意外な事実を明かす。

「実はもともとのペーパーには、具体的対策を示す結論ページが10枚ほどありました。社会的課題を具体的政策に落とし込むのは、役人の本業ですから。けれど、最終的には結論部分を削除して、あえて寸止めの内容で完成としたのです」

そのきっかけは、公開直前にあった。

10月から半年以上にわたり、議論や文書の中身は省内でもまったくの非公開だった。ただ、最終的に経産省で最大の審議会である産業構造審議会総会にかける前に、幹部の前で初めて公開する場を得た。その時にはまだ、最終ページは存在していた。

「おそらく角をとって丸くされるだろうと、身構えて行きました。負けないぞ、と」。須賀氏は当時を思い出す。

ところが、省内の最高幹部がそろう会議での反応は予想外のものだった。

「ちっちゃい。せっかく『若手』と銘打って出そうとしている割に、とんがり方が足りない」

口々に言われたのだ。それどころか「お前たちはこんな、足元で実現可能な政策をやりたくてこれを始めたのか」と、逆に問われる。

「世の中の大きな価値観の対立というか、みんなが合意できているか分からないことについて問いかけたかった。それなのに役人の変なクセで、実行可能な具体策を、批判が出ない感じで最後、しゅしゅっとまとめようとしていたことに対して、強烈に喝を入れられたのです」

須賀氏は当時の衝撃を明かす。

こうして「不安な個人、立ちすくむ国家」文書は、最終部分を削除の上で、完成を迎えた。

シルバー民主主義を乗り越える

反響はインターネット上のみならず、経産省の代表電話や一般の人の意見を集める公聴窓口のメールにも、全国から声が寄せられている。

官民個人を問わず「ぜひディスカッションをしたい」「コラボレーションをしたい」というものから「この文書を出した若者たちがいじめられないようにしてほしい」といった「お願い電話」まであるという。

「今は現場に出て、そこから出てくるご意見にまみれたいですね」と、須賀氏はいう。文書を通じて投げかけた問いかけに反応した人たちと共に「今後、これで何のアクションができるかを相談しながらネクストステップを考えていきたい」

「もっと個人に寄り添いたい。対話をしていきたいです。いろんな場があって、どう思いますか? をディスカッションしたい。まずはそこから」と、藤岡氏も思っている。

若手官僚ペーパーを読み込めば「シルバー民主主義を民主的に乗り越える」(須賀氏)という、日本の未来に不可避といえる大きなテーマが呈示されていることに気づく。

大きなハードルのようにも見えるが、老いは生きている限り誰にも必ず訪れる。そこにあるのは、すべての人に共通の普遍的なテーマであり、世代間の分断ではないはずだ。

賞賛も共感も手厳しい批判も、揶揄するような声ですら、この文書が「何か一言、自分も語りたい」という気分を引き出していることだけは、間違いない。


須賀 千鶴 :産業資金課総括補佐。2003年東京大学法学部卒、入省。ペンシルベニア大学ウォートン校でMBA取得(医療経営専攻)。途上国支援や気候変動、クール・ジャパン戦略、霞が関の働き方改革などを経て現職。現在はフィンテック、ベンチャー政策などを担当。

藤岡 雅美 : 産業人材政策室長補佐。2010年京都大学医学部卒、入省。サービス産業の生産性向上、資源外交、ヘルスケア産業の育成などを経て現職。現在は働き方改革、子育て政策などを担当。

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