シェリル・サンドバーグ新刊 日本のワーキングマザーはこう読んだ

シェリル・サンドバーグの「逆境を乗り越えること」をテーマにした新刊は、配偶者や子どもなど家族の死、病気、仕事上の大失敗などを乗り越える自己回復力「レジリエンス」を身につける方法を記している。

本のタイトルは『Option B(未邦訳)』(心理学者・Adam Grant氏との共著)。これまでの人生が”Option A”だとしたら、逆境を経験し人生が変化した後は、これまでと違う人生”Option B”を歩む、という意味がある。

シェリル・サンドバーグと故・デイブ・ゴールドバーグ

シェリル・サンドバーグと故・デイブ・ゴールドバーグ。サンドバーグは自己回復力について新刊を書いた。

Kevork Djansezian/Getty

多くの読者が知る通り、サンドバーグは2年前、夫のデイブ・ゴールドバーグを旅行先のメキシコで突然、亡くした。本書は、彼女自身の経験と、親友の心理学者による学術的知見を交えた共著である。

本書の特徴は、サンドバーグが夫を失った悲しみを、読者に我がことのように追体験させる筆致にある。私は仕事で必要なら英語を使うが、流暢と言えるレベルではない。通常、英語の文章を読むには日本語の数倍時間がかかる。それでも本書は外国語と思えないほど、没頭して読むことができた。

例えば、ゴールドバーグが亡くなってから1カ月間、サンドバーグの母親は自宅に泊まり込み、彼女が泣き疲れて眠るまでベッドを共にしてくれたそうだ。深い悲しみは日常生活を侵食する。本書は、悲しみの渦中がいかなるものなのか、鮮やかに描き出し、読者はそれを自分のことのように感じる。

父親を亡くし傷ついた子どもを預けて出張に行けるだろうか

日本のビジネスパーソンは、サンドバーグは悲しみを露にしすぎではないか、と思う人がいるかもしれない。そのように見えるとしたら、この夫婦の結びつきの強さが、読者の想像を超えていたことがあるだろう。

女性のエンパワーメントを主題にした前著『Lean In』でサンドバーグは、「本当に対等なパートナーを見つけること」を重要事項として挙げた。彼女の夫が配偶者の成功を心から喜び、当然のこととして育児をシェアする人物だったことは、サンドバーグのキャリアに大きな影響を与えた。だからこそ、彼が突然亡くなったことは、彼女に物心両面で大きな喪失をもたらしたのである。

対等なパートナーを失うことは、仕事にも影響する。夫の死後、夜間や遠方での講演を頼まれた際、サンドバーグは依頼者に複雑な感情を抱いた、と記す。それまで彼女の出張を可能にしたのは、出張中に育児を引き受けることを当たり前と考える夫がいたからだ。父親を亡くして傷ついた子どもを預けてまで出ていく気になれない、という心境は想像して余りある。

ザッカーバーグの思いやりある言動で心理的負担が軽くなった

サンドバーグは多くの人に支えられたというが、そのひとりがFacebook CEOのマーク・ザッカーバーグである。彼は上司として彼女を支えた。夫の死後、初出社の日、サンドバーグは社内会議で事実誤認に基づく発言をしてしまう。別の会議では貢献したいと思うあまり、論点がずれた発言を長々としてしまった。会議中に夫が亡くなったシーンが目の前に浮かんでくるような精神状態現であった、というから平時の集中力を失っていたのかもしれない。

反省したサンドバーグが失敗を詫びると、ザッカーバーグは「そのくらいの間違い、君は前にもしたから大丈夫」と返事をして、彼女の心理的負担は軽くなったという。ザッカーバーグの思いやりある言動は、もともと自分に厳しすぎるサンドバーグの支えとなる。

もちろん、サンドバーグは自分が非常に恵まれた環境にあるという自覚がある。多くの職場では、家族の死を経験した人が事実と向き合い、生活を立て直すのに十分な休暇を取れない。夫を亡くした母親の多くは低収入ゆえ、悲しみを癒す余裕などなく、残された子どものために働かねばならない。背景には男女の賃金格差という問題もある。サンドバーグは自分と同じ立場であり、かつ、経済的苦境にあるシングルマザーへの同情と共感を示すと共に、支援制度の充実を提案してもいる。

自分の感情を大事にするというルールを決めた

また、子どもに対する配慮にも紙面の多くを割いている。例えば、親を亡くす経験が子どもに与える影響や、悲しみを乗り越える力を持った子どもはどう育つのか、について1章を割いて論じている。心理学の研究成果、体験に基づく事例を踏まえ、日常生活でできることを記す。

その一例は、サンドバーグが子ども達と決めたファミリー・ルールだ。ルールの中に、自分の感情を大事にする、ということがある。

ある日、娘が「ふたり(サンドバーグとその息子)は、私よりパパと長い間一緒にいたから、ずるい」と怒って泣き出した。

大きな喪失を経験した際、悲しみや怒りを覚えるのは当然である。それはしばしば、適切でない時にあふれ出す。そういう感情を出せるようにすると共に、相手の感情を認めることの大切さも書かれている。また、さまざまな事例から、親を亡くした子ども達が、その後の人生を幸せに生きる可能性や、そのために必要な支援についても記されている。

大事な人を亡くした友人にできることは何か

本書から得られる多くの教訓の中でも、特に私が勉強になったことを挙げたい。それは、大事な人を亡くした友人や知人に対して、友達や同僚としてできること、である。

誰のどんな言葉が夫を突然亡くしたサンドバーグにとって慰めや癒し、励ましになったか。それと同時に彼女を傷つけた周囲の人の不作為についても書かれている。

シェリル・サンドバーグの新刊『OptionB』

英語だが、没頭して読めたという治部さん

撮影:治部れんげ

例えば、友人の中にはデイブ・ゴールドバーグの死についてサンドバーグに全く言及しない人もいた、という。それにより、彼女は夫の死や夫の存在そのものが、ないものとして扱われたように感じて傷ついたそうだ。またある時は、友人宅に集まった際、夫婦が互いの出会いついて話す場面があり、そこで、サンドバーグは話す機会を与えられずに飛ばされてしまう。

確かにデイブは亡くなったが、ふたりの出会いという事実はなくなっていない。サンドバーグはその集まりに参加した友人に連絡と取り、自分が傷ついたことを伝えている。

こうしたエピソードは示唆に富む。私たちはしばしば、つらい経験をした人にそのことを尋ねようとしない。それに言及することは、相手を傷つけるのではないか、という恐れから、また、興味本位で聞いていると思われたくないために、何も尋ねないことがある。これは私自身、身に覚えがあることだ。本書を読んで、身近に大きな喪失を経験した人がいたら、それがなかったように振る舞うのはやめよう、と反省した。ただし、どのように言及するかはとても難しい。

「今日はどうだった?」という一言で共有される想い

ひとつヒントになるのは、サンドバーグが書く「今日は、どうだった?」という質問である。大きな悲しみを経験した人は、目覚めている時はずっと、喪失感を抱き続けているが、その度合いは異なるという。「今日は」という一言で、悲しさを感じる度合いが時々刻々異なる、という認識を共有していることを、さりげなく示すことができるそうだ。

サンドバーグは本書で得られる収入のすべてを非営利のプロジェクトである「OptionB.org」に寄付するそうだ。すでにFacebookのOptionBグループは数千人規模に達しており、大きな悲しみから回復しようとする人たち、子どもにレジリエンスを身に着けたい人たちが集まり、経験を共有している。

最後に、多くの意義深い活動や学びにも関わらず、サンドバーグの悲しみは消えていない、という事実に触れておきたい。彼女は今でも、夫が帰ってくるのではないか、という錯覚にとらわれることがあるという。

深い悲しみが消えることはないが、その中でもより良く生きること、幸せに生きることは可能である、ということを本書は教えてくれる。また、深い悲しみを経験した人に、周囲ができることを具体的に教えてくれる。早期に日本語訳が出版されることを期待したい。


治部 れんげ:ジャーナリスト。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。経済誌の記者・編集者を経て、フリー。国内外の共働き子育て事情や女性のエンパワーメント、関連する政策について調査、執筆、講演などを行う。

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