アメリカでは、政治を取材する記者が、身体に対する危害を真剣に警戒しなければならない時代になった。
5月25日(現地時間)に投開票が行われた西部モンタナ州の連邦下院補欠選挙で、共和党のグレッグ・ジアンフォルテ候補が民主党の新人候補を破って勝利した。同候補は前日、英紙ガーディアンのベン・ジェイコブス記者がぶら下がりで質問した際、記者の首を両手でつかんで地面に叩き伏せ、1、2回殴った人物だ。記者は救急車で搬送されたにもかかわらず、同候補は勝利した。
勝利演説の中で記者に謝罪したグレッグ・ジアンフォルテ氏。表情は穏やかだ。
Janie Osborne/Getty Images
ジアンフォルテ氏は勝利演説の中で、記者に対し謝罪した。
「ベン・ジェイコブス氏に対し、ああいう反応をするべきではなかった。あの件については、謝罪する」
しかし、彼が記者の名を言った途端、集まった支持者の間で、「そんなことをするべきではない」とでもいうように、ブーイングが起きた。コメントが終わると、女性の支持者が間髪を入れず、「あなたは許されるわ! 」と甲高い声で叫び、歓声が上がった。
ガーディアン・ニューズ・メディアの編集長キャサリン・バイナー氏は26日、「記者が攻撃されたことに対し、なぜ屈することができないか」というメールを読者に送り、こう糾弾した。
「(事件は)アメリカの民主主義の健全性に警鐘を鳴らすとともに、トランプ大統領時代に、報道の自由が急速に崩壊していることを示す」
これが自由の国と思われているアメリカで実際に起きていることである。
ジェイコブス氏の音声レコーダーに残っていた事件の様子は、生々しい。彼がジアンフォルテ候補に、共和党の医療保険制度改革(オバマケア)代替法案について質問した。
ジアンフォルテ「時間がない。シェイン(広報担当者)に話してくれ」(何かが叩きつけられる衝撃音)
ジアンフォルテ「(突然、怒鳴り声で)お前らには、ムカつくし、うんざりだ! 前に来た奴もおんなじことを聞いた! (ウッといううめき声)とっとと失せろ(再びうめき声)」
ジェイコブス「でも、あなたは今、私のメガネを壊した」
ジアンフォルテ「ガーディアンだな。前に来たやつも同じことをした。とっとと失せろ! 」
ジェイコブス「とっとと失せろというのなら、警察を呼びたい。(目撃者に対し)名前を教えてください。(候補者は)今、私を地面に叩きつけ、メガネを壊しましたよね」
ジアンフォルテ陣営のシェイン・スキャンロン広報官は、同記者が許可なく選対本部に入り、候補者の顔にレコーダーを突き出し、しつこく質問、それを遮ろうとしてもみ合いになって、2人とも地面に倒れた」と反論している。だが、目撃していたフォックス・ニュースの記者とプロデューサー、カメラマンはウェブサイトで、「ジェイコブス氏からの候補者に対する物理的な接触はなかった。ジェイコブス氏は地元保安官に軽犯罪を報告し、救急車で運ばれた」 と報じている。
ガーディアンのバイナー編集長は、「攻撃は突然起きたことではない」とし、同紙がジアンフォルテ氏を厳しく監視する報道をしていたことを認めている。4月にはジェイコブス氏が、アメリカが経済制裁を行っているロシアとジアンフォルテ氏の間に金銭面の関係があったことを報じていた。
オンラインニュースのvoxによると、ジアンフォルテ氏はある集会で、支持者が「我々の最大の敵は報道機関だ。記者たちをどうやってコントロールするか」と質問したのに対し、支持者に混じって取材している1人の記者を指差して、こう答えた。
「彼よりも、我々の方が多勢のようだな」(このコメントについても後日謝罪した)
ジェイコブス氏は読者へのメールでこうコメントしている。
「政治家を取材していて、このようなことに遭遇するとは思ってもいなかった。質問をしている記者の役割を考えると、非常に残念だ。私たちは政治家が当選した後に何をするのか知るため、有権者の代わりに質問をしているからだ」
「報道機関は敵」という時代
「報道機関は我々の敵だ」と主張するトランプ大統領
Drew Angerer/Getty
この事件について懸念されるのは、トランプ氏も報道機関を「最も不誠実」と毎日選挙集会で主張し、最近では「報道機関は、我々の敵だ」とする時代に起きたことだ。
筆者は、トランプ氏の集会に行く際、記者とわからないように、服装などに気を配った。ジーンズにデニムのジャケットで、見てすぐに記者だと分かる細長いリポーター・ノートではなく、99セントショップの子どものノートを持って行った。注目をひかないように、有権者の間をうろついているボディガードの位置を確認し、彼らから見えないところで人々の声をメモした。
一方で昨年7月、民主党大会を取材した際、保守系テレビ、フォックスの人気アンカーが、反トランプ派に囲まれ「Fuck you, fuck Fox! 」と顔面近くで怒鳴られているのも目にした。5月、ニューヨーク市内で開かれた反トランプ派の集会を取材してもらおうと依頼したフリーのカメラマンに「そんな危険な場に行きたくない」と断られた。
リベラル派のメディアはトランプ派を恐れ、保守派メディアは反トランプ派を恐れるという構図になっている。
MSNBCの記者によると、記者を殴った直後から、ジアンフォルテ氏への寄付金は急増したという。記者に対する暴力は、同氏のタフさを示したものとして、歓迎された面もあると報じた。
しかし、暴力という「犯罪行為」が起きていいはずはない。それでも主要な伝統ある報道機関が毎日、「フェイク・ニュース」と大統領とその側近に批判され、敵視されるのが「ニュー・ノーマル」になってしまった今、報道機関と記者は歴史上初めて、一般市民からも敵視され、身に危険が及ぶことを覚えておかなくてはならない。
モンタナ州では昨年の大統領選挙で、トランプ氏が勝利した。しかし今回の補欠選挙で、民主党の新人候補が健闘したため、2018年の中間選挙の前哨戦として注目されている。
津山 恵子:ジャーナリスト、元共同通信社記者。ニューヨーク在住。主に「アエラ」に米社会、政治、ビジネスについて執筆。近所や友人との話を行間に、米国の空気を伝えるスタイルを好む。