私は2年前からニューヨークのマンハッタンを脱出し、クイーンズに住んでいる。アパートの家賃を払うためだけに働く人生は嫌だと思ったからだ。クイーンズは富裕層しか住めなくなったマンハッタンと異なり、家賃が比較的安く、ニューヨーク市の中で最も多くの移民が集中している。
リナとソーニャ。2人とも大学を卒業したが、利益第1主義の仕事は嫌だとバーテンダーを選んだ。
お気に入りの場所の一つがリナ・ヘイバーリーとソーニャ・ラトニキが、手塩にかけて作ったご近所バー「ザ・バッド・オールド・デイズ」。アメリカの1950、60年代を思わせる渋い内装だが、開店わずか2年足らずだ。リナは31歳、ソーニャは33歳と若く、男性中心で競争が激しいニューヨークのバー経営者としては、かなり珍しい。
「あらゆる意味で、退屈で惨め」だった
バーは20〜30代のヒップスターと呼ばれる近所の若者であふれている。音楽やアート、本に敏感だが、私の近所ではタトゥー、ビニー(帽子)、穴あきジーンズ、無精髭などアウトローなファッションが目立つ。ここで友達になり、大統領選挙中にテレビ討論会を見て議論し、読書会や誕生日パーティ、クイズ・ナイトを開き、近所の郵便配達夫がお手製スープを振舞ったりする。ここは、ご近所の「ハブ」的存在だ。私も、インタビュー取材に使ったり、アパートの泊まり客のために自宅の鍵を預けたりする。
リナは、東部マサチューセッツ州ボストンの生まれ。進学したニューヨークのコロンビア大では神経科学を専攻した。2007年に卒業し、神経科学分野の行政法人に2年間勤めた。しかしその2年は、「ありとあらゆる意味で、退屈で惨め」だった。誰もがコンピューターに向かい、会話はご法度。リナは会社を辞め、生活費のため、ニューヨークのダウンタウンでバーに履歴書を配って歩いた。バーテンダーのノウハウは学生時代、アルバイトのため、スクールで覚えた。
「大学だけは出てくれ」と頼んだ父親
採用されたのが、アンダーグラウンド系のミュージックバー「ロックウッド」。一晩に7つのバンドのショーが開かれ、ミュージシャンらとの交流があり、次々とくるカクテルの注文。ラボでの退屈さとは正反対の活気と、生の人間との接触で、すっかり気分が晴れた。そして、ソーニャに出会う。
ソーニャは、中西部ミネソタ州の牧場生まれ。父はトウモロコシを育て、馬と牛がいる典型的な牧場生活だった。オムツが取れると、自分のポニーをもらい、5歳で障害飛越競争のコンテストに参加した。7歳で両親が離婚。16歳でレストランのウェイトレスを勤め、サービス産業に興味を抱いた。
父親が「大学だけは出てくれ」というので、父親が住む西部ユタ州の州立大学に進学。卒業すると、さっさとニューヨークに引っ越した。 ロックウッドで働きながら、リナとソーニャは、「ザ・バッド・オールド・デイズ」プロジェクトを立ち上げる。ソーニャはバーテンダーからマネージャーに抜擢されたものの、経営に専念するのには馴染めず、ロックウッドを去り、他の場末バーでバーテンダーに戻る。一方リナは、オーナーにこき使われるのではなく、自分のバーが持ちたいと考えていた。
家具や小物は、すべてリサイクルショップから。床板も古いバーから調達し、コストを抑えた。
「お金を巻き上げるスタイルが不快だった」
「ザ・バッド・オールド・デイズ(昔はひどかったね)」という名は、慣用句「グッド・オールド・デーズ(昔は良かったね)」をもじり、1950ー60年代、朝鮮戦争・ベトナム戦争に加え、公民権運動などアメリカ国内でも血が流れた激動の時代を振り返るものだ。
バーを新規に開店するというのは、たやすくない。
「辛抱強さ、涙、そしてたくさんのアルコールが必要だった」(ソーニャ)
2人は近所の人が集まる「ご近所バー」を目指し、富裕層が多いマンハッタンから離れた住宅地域での開店を目指した。
「私たちはマンハッタンのバー時代、ひたすら利益だけを求め、メニューや価格を設定し、お客からお金を巻き上げる経営スタイルが不快だった。お客がバーで得る対価は何なの? 出会いがあったり、居心地が良かったりすることであるべきではないの?」 (リナ)
「考えたくないほどの膨大な借金がある」
プロジェクトの1年目はバーのコンセプトを確立するため、膨大なリサーチをした後、クラウドファンディングのキックスターターで、1万2000ドルを集めた。2年目に見つけたブルックリンの物件での開店が頓挫したとき、キックスターターの出資者たちを失望させたことは苦い経験だ。
入り口は古いまま残した。この趣が気に入っている。
現在のクィーンズの物件は、建物に入った途端に気に入った。赤いレンガの壁、天井の飾りなど今までに見たことがないほど古く趣があり、バーのコンセプトに合致した。物件の履歴を調べるため法務局通いしたソーニャは、建物が1889年に建てられ、1階は1954年からしばらくレストランだったことを突き止めた。
しかし、内部の改装に絡み、ニューヨーク市建築局に通うこと30回。オープンが遅れることによる費用がみるみる膨らんだ。
2015年11月25日、着想から2年半かかり、「バッド・オールド・デイズ」がオープンした。カクテルレシピは、リナとソーニャの特製。きびきびとした動作、軽快な会話。お客全員と自然に接することができるように、「L」字型のバーの寸法まで工夫した。多くのバーにあるテレビは置かない。会話やドリンクを楽しむ時間を奪ってしまうからだ。
「バーとして長く生き残り、財務的な安定を保つだけの収入はあるけど、考えたくないほど膨大な借金はある 」
とソーニャ。しかし、笑顔でこう言う。
「異なる世代、宗教、背景を持ったご近所の人が、ここでお互いに会うためにやってくる、誰もが会話を始める、そういう場所を自分たちで経営しているということが、何よりの『ご褒美』」
リナも「ご褒美」という言葉を繰り返した。
「お金のためにバーを経営するという企業のような拝金主義にはうんざり。私たちはコミュニティーとともに成長したい。近所の人が来てくれて、ドリンクを出してあげる楽しさを見出したのは何にも変え難い」
「高等教育は規制や法律に取り組むのに役立った」
NGO「大学に行ける可能性と生産性センター」の2013年の報告によると、アメリカの大卒の約48%が大卒資格を必要としない職業に就き、約37%は、タクシー運転手、消防士、店員といった高卒未満の資格しか必要としない職にある。
一方、年間数万ドルに上る高い学費を払うために借りた「学生ローン」の借金は、卒業時に1人平均2万8000ドルにもなる。それなのに就職先はない、という葛藤が、アメリカの大卒の「ニュー・ノーマル」だ。その中で、「ご近所バーを作る」という道を見出したリナとソーニャは、ニュー・ノーマルを乗り越えた数少ない「勝者」だ。
「高等教育は、厄介な不動産関連の規制や法律に取り組むのに役に立った」(リナ)
2人は毎日フェイスブックで、バーに出勤したことを知らせる。
「昼と夜のダブルシフトも悪くないかも。会いに来てね」「コーヒー、飲んでいるところ」
大学を出た後、誰もがするようにエリートコースを歩むことを選ばず、自分たちが本当に好きなことを見つけた。リナとソーニャは、クィーンズのコミュニティーに溶け込み、生き生きとしている。
(撮影:津山恵子)