日本のスタートアップの世界展開を支援してきた馬田隆明氏(東京大学産学協創推進本部 本郷テックガレージ ディレクター)は、連載の1回目に「若い人たちに楽観的な未来像を抱いてもらうために試行錯誤している」と語った。メディアアーティストとして、コンピュータと人との新たなる関係性である「デジタルネイチャー」という世界観を提唱する落合陽一氏(筑波大学学長補佐・助教)は、いかに早く「〈脱〉近代化」の発想法に切り替えられるかがイノベーションの鍵となると説いた。今回の話題は、大きなスケールでテクノロジーの未来を見はるかすポジティブな思考法について——。
馬田隆明氏(左)と落合陽一氏。連載2回目はテクノロジーの未来を見通す思考法について語った
——今、人工知能(AI)のテクノロジーに対して、悲観論と楽観論が入り乱れています。
馬田隆明(以下、馬田):世論が悲観的な方に傾いたら対論を、と、振り子が逆に振れる。『楽観主義予測者の未来予測——テクノロジーの爆発的進化が世界を豊かにする』(上・下)なんかも、海外では良く読まれていますね(ちょうど、テックガレージにあった本を手に取りながら)。これを書いたのは、「Xプライズ財団」創設者でもあるピーター・ディアマンディスたち。Xプライズは「世界初の民間有人宇宙飛行を成し遂げたチームには1000万ドルを!」みたいな人類目線のコンペをいろいろ仕掛けているところだけあり、スケールがデカい。彼らの主張は、落合さんの世界観と似てるなと感じます。テクノロジーがどう世界を良くしていくのかと前向きで明るい感じが。
落合陽一(以下、落合):僕の場合、「明るい虚無」なんだけど(笑)。悲観論にはいかないですね。淡々とやる。最近では、仏教の言葉で理事無碍法界から事事無碍法界へ(物事の理屈があって、人間が理解してそれを事にするのではなく、事から事に直接向かう世界を受け入れるというスタイル)とか言ってます。
—— Business Insiderの日米の記事を比べると、アメリカ発のニュースの方が楽観的な色合いが強い。例えば、イーロン・マスク氏が将来、電動のソリで車を高速に移動させるため地下にトンネルを掘る計画も、壮大な夢みたいな感じです。
馬田:ああ、地下トンネルを掘削して、地下で車を走らせるという「ボーリング・カンパニー」ですね。ああいうスケールの話はなかなか出てこないなあ。
落合:そこのところ日本人は近視眼的で、とにかく経済感覚がないよ。死の谷を越えて利潤を生み出していくっていうスパンでの考え方、つまりトンネルを掘った世界において事業が黒字転換していくっていう規模感と時間のスケールで世界をイメージできないんだろうね。投資家も100年後に向かっている会社に投資するという概念が理解できない。そうすると、日本人の場合は「林業」に例えてイメージしてもらうのが一番わかりやすいんじゃないかな。林業だと、「こんなトンネルを何十年も掘り続けていたら、いったいいくらかかる?」っていう思考回路にならないもんね。「植えときゃ、いずれ誰かが刈り取るんだから、大丈夫」みたいな(笑)。
馬田:日本で林業ぐらいはるか先を見晴るかしてがんばっているスタートアップというと……。
落合:サイバーダイン(ロボットスーツHAL ®を医療・福祉用などで展開する筑波大発ベンチャー)ぐらいじゃないの。それよりも、今の若い子たちは、 VR向けヘッドマウントディスプレイ(HMD)の 「オキュラス・リフト」を作って大儲けしたパーマー・ラッキーが羨ましくてしょうがないんだと思いますよ。なんか、家の車庫で 古今東西のHMDを集めたり、レトロゲーをいじったり、そういう機械いじりをして事業を始めたら、その会社がフェイスブックに買われて、今、資産が800億超えているっていうし、楽しそう、みたいな。そういう「自由に」なるためのお金が欲しい子が多い気がする。でも、お金のところだけみると、イグジット思考(スタートアップの創業者やベンチャーキャピタルが投資した資金を回収すること)になっちゃうからね。自由なんて、近代以前から人類は最初から自由なんだから、そういうことじゃない。彼から見習うべきは今言ったような世間的成功認識の文脈で捉えるべきところじゃない。
1300年続くコミュニティ事業「式年遷宮」に習え
——日本では「林業的スタートアップ」戦略は取りにくい?
落合:いや、本来なら日本は長期戦略が取りやすいはずです。だって、伊勢神宮なんて、20年に1度という式年遷宮を繰り返していて、何百年か後に使う用材のために木を植えているんでしょう? 樹齢200年とか300年クラスのヒノキ材を「安定供給」するために伐り出す山の植樹をちゃんと計画しているっていうんだから。「500年後、あと25回後の遷宮の時に使うから、ここに植えとくわ」とかいって、区画が決まっていたり。あれは明らかに「ユートピア」だと思うなぁ。
馬田:確かに。その時間感覚なら、電動ソリ用の地下トンネルぐらい、簡単に掘れそうです(笑)。
落合:隣にまったく同じ社を完コピして建てて、元のは壊すっていうのを1300年以上も連綿と繰り返して。世界で一番長いコミュニティ事業やっているようなもんですよね。
馬田:その投資スパンでビジネスがやれるスキームがあればいいと。
落合:無形の文化財として見た時に、伊勢神宮には「イノベーション」が全くないのが驚き。だって、普通は伝統って誰もやったことがないことをちょっとずつ積み上げていくから、「伝統こそはイノベーション」とも言えるわけで、「ワンピース歌舞伎」なんか最高の「イノベーション」の一つ。しかしながらね、伊勢神宮は「まったく同じ」「完コピ」を永遠にやっているんですよ。それを考えたら、明らかに日本には林業的長期目線はあると言える。
馬田:なるほど。
落合:ただね、伊勢神宮の場合、どうやら「祭り」にはイノベーションがありそうなんだよね。
馬田:確か、伊勢神宮は毎日何回もやってますね。
落合:数はものすごく増えたんじゃない。ここ1000年とかでうっかり増えていったものもあると思う。レトロウイルスにやられたDNAみたいになっている(笑)。1年で1000回近くやってるんじゃないかな。そもそも日本人って、イースター、ハロウィン、クリスマス、何でも祝う国民だから、あと2000年ぐらい放っておくと、春節も祝うし、1日3回ぐらいお祭が来るようになっていそうな気がする。
馬田:加速度的に増えていく祭のイノベーション(笑)。まあ、毎日何か祝うことがあるのは、楽しくていいですね。
社会的インパクトをもっと考えた方がいい
馬田:米国のトップクラスのアクセラレーターである Y Combinator の社長のサム・アルトマンが言っていて印象的だったのは、スタートアップに残された最大のアービトラージ(裁定取引。金利差や価格差を利用して売買し利ざやを稼ぐ取引)の機会は、長期的なコミットができることだという発言でした。 スタートアップって短期的な成長を目指すので、逆のように聞こえますね。でも2、3年で「イグジットして簡単に売り抜けたー」とかいう短期的な競争じゃなく、長期的に事業を考えることができるなら、そのスタートアップは全く別のやり方や戦略を考えられて、それが競争優位になる。たとえば今はトレンドじゃないほんの小さな市場だけれど、数年後にはきっとトレンドが来て急成長するような市場を選ぶとか、一見すると不合理な戦略とかもそうかもしれません。上場した大企業は株主が気になったり、企業内の意思決定者がそのリスクを取れなかったりで、なかなかそうした不合理な選択はできないけれど、スタートアップなら確かにそれが可能ですよね。
——しかし、日本のスタートアップはどちらかといえば、イグジット自体が目的になっている場合が多いようにみえるのですが。
馬田:イグジットして個人でお金を持つということは、ある意味、社会からの信頼を預かることであり、時間を預かるということじゃないかと、若くしてイグジットを経験した志高い起業家の人と話したことがあります。それにお金をうまく使えば、人々の労働時間をどこに向かわせるかを采配することもできますよね。だから効果的にお金を使うには、社会や人々がどこに向かってほしいのか、あるべき未来を描く必要がある。彼は今、お金を持った責任の重さを感じている、と言っていました。
じゃあ社会からの信頼と時間の塊であるお金を持ったその後に人はいったい何をするのか。考えた末、やはりお金や自分で得たノウハウを再投資することで「社会的インパクト」を生み出していく、ということに行き着く人も多いようです。ビル・ゲイツなどはその最もたる例です。であれば、イグジットしてお金を持つ前から、もしくは起業する前から、社会的なインパクトのことをもっと考えても良いように思います。実利的にも、そうしたほうがお金持ちのお金が集まりやすいとも言える。
それにそうした社会への良い影響への興味関心の高まりは、東大のテックガレージに集う学生らの動きを見ていても感じるし、落合さんの本を読んでも感じました。落合さんは、利潤をしっかり追う経済感覚は持ちながらも、その先に社会にどうインパクトを与えていくかというところを大切にされていますよね。
落合:僕はジェフ・ベゾスが羨ましくてしょうがないんですよ。
馬田:今、宇宙開発の会社(ブルーオリジン)でロケットつくっていますもんね。
落合:僕、ああいうのやりたいんだよねー。やりたいことがいっぱいあって。だから、アマゾンはIPOをするなどして市場から資金をかき集めているからね。 僕がラボだけでなくベンチャー投資を受けて会社をやってるのも、そのサイクルを目指しているからなんだけどね。あんまり理解されていないような。
脱近代社会はあらゆる場所がブルーオーシャンになりうる
——ポストモダンは、やりたいことそのものを見つける「問題発見力」がキーになってきそうですね。
落合:そもそも近代っていうのは「問題を発見しない社会」だし、 むしろ「生産性の問題はすでに発見された」のでそれを人が人を律する形で効率化していく社会だった。だからそれはそれでよかったんですよ。やることが明確な社会なわけだから。だけど、「脱近代」というのは、近代が決めたフレームワークをすべて排してみて、それでも生産性が下がらないような社会にしてみるというステージ。そういう社会にするためのトライアルというのは、どこにでもありふれているという状態なわけです。
その意味では、あらゆる場所がブルーオーシャンになり得るんですよ。もちろん、マーケットがちっちゃいものも含まれていて、玉石混交ですけれど。マーケットがでっかいところを狙えばバーっと広がるんだけど、悲しいことに、そういうスケールのデカいところでの経済感覚が日本人にはないんだよね。これは長期投資が必要だから、近視眼的な、「俺が任期の間に何かやらかしてくれるな!」という考え方の中からは厳しい。
馬田:やりたいことを見つけるという意味では、落合さんはよく「エモい」という言葉を使われますが、心が動く、エモーショナルなポイントをいかに自分で認識できるかというところがありますね。そう言えば、東大・京大の生協で今年の4月に一番売れたという『勉強の哲学 来たるべきバカのために』の著者、哲学者の千葉雅也さんがこう書いています。
勉強をすると、なんとなく生きている環境から脱コード化されて、ノリが悪くなったりキモくなったり、アイロニカルになったりメタになったりするけれど、アイロニカルに根拠を疑いすぎるとナンセンスに至ってしまう。しかしユーモア的に多数の見方や可能性を提示しただけでは、こちらも可能性の過剰による意味飽和のナンセンスに陥る罠がある。そうした両極のナンセンスを避けようと、無根拠な決断主義に身を委ねて結論に飛びつくこともできるけれど、でもそれは無批判すぎる。だからそうじゃなくて、自分自身の体験という偶然性から生まれる「自分に固有の無意味」や、自己目的的ともいえる「享楽的こだわり」、つまり自分の「バカ」な部分をもって、可能性の比較を一時的に中断して結論を仮固定しなきゃいけない。周囲から浮こうがノリが悪いと言われようがキモいと言われようが、それが気にならないぐらいなバカの境地に至って、さらにその上でアイロニーとユーモアの両方を操りつつ、自分で仮固定した結論の比較を続けること、問題意識に浸かり続けること、ある種の不快な状態に居続けることこそが勉強すること
なんだそうです。勉強は本来やりたいことのためにするものですよね。その文脈でも自分の「享楽的こだわり」を持てるか、来たるべきバカになれるかが重要だと言っているんですよね。エモさ、享楽っていう言葉にはキーワードの同時代性を感じます。
「やるべき」ことと「やりたい」ことを分ける
落合:もちろん、エモさを追求するだけでもダメなんですよ。うちのラボでよく言っているのは、「やるべきこと」と「やりたいこと」をちゃんと分けてと。技術とか、世界のマーケットに詳しければ、「べき」論はいくらでも並べられるんだよね。全世界で困っていることを潰していけば。そして、AIとIoTだとかで、機械学習させてデータセットを使って、というところには明らかにイノベーションはある。なんだけど、やりたいことっていうのは、なにか、文化的な非合理性の中から生まれてくることが多くて。
馬田:確かに、文化って、先ほどの式年遷宮じゃないけれど、そもそも不合理の固まりみたいなものですよね。むしろ起源が分からなくなって、形式だけが残り、部外者には不合理に見えてこそ儀礼だとも言えます。
落合:なぜ人がメッカに向かって祈るのか。知らなくても、みんなひたすら祈るでしょう? 「まあ、でもそういうことになっているんだよね」みたいな。
馬田:そんな中で、個人の中にある、不合理だけれども「やりたい」何かを見つける。これは、けっこう大変ですね。自分と向き合わないと。自分と向き合うというのは体力がいる作業ですから。
落合:そういうものを結晶化させた「パーソナルヒストリー」が超重要になってきますよ。だって、ブルーオーシャンをみつけて「ダダダダッ」って機関銃みたいに撃っていくのはいいけれど、短期でのイグジットを目指してちっちゃくやっているところに金を投資しても、シリコンバレー的にはうまみがないからね。今、スタートアップを狙うなら、なんといっても長期的な戦略が欠かせないと思う。「史上最高の投資家」と言われる、ウォーレン・パフェットなんかも、そんなこと言っていますよ。
馬田:長期戦略で「やりたいこと」を推し進めていくためのポイントは何でしょう?
落合:それはね、やるべきこととやりたいことが分かれていたとして、そのどっちもがちょうど際のところで重なっているポイントっていうのを見つけていくのがいい。僕でいえば、「映像」と「物質」の間という世界をずっと考え続けていくっていうことなんだけど、それを続けていたら「超・超指向性スピーカー」っていう音響の世界の常識を変える製品の発明に結びついた。あれは、そもそもパーソナル伝達だった「ビームスピーカー」(音にビームのような指向性をつけるスピーカー)の聞こえる範囲をさらに絞って、空間に多数の点音源を作ろうという発想。これは僕がCEOをしている「ピクシーダストテクノロジーズ」っていう会社で製品化まで漕ぎ着けた。いわゆる従来のスピーカーという「モノ」 のそばで音楽を聞くというのとは違う。超音波とコンピュータを使って音響場を操り、空間のこっち側にいても、あっち側にいても、その一人一人に違う音を違うボリュームで届けられる。誰も機器は身につけていないのに、あっちでもこっちでも違う音楽を楽しんでいるみたいな世界。ピクシーダストテクノロジーズでは他にもレーザーや電波やファブリケーションしたメタマテリアルなんかを順次市場投入していって、波動と物質と知能の関係性を産業にしていこうとしている。それはかなりの長期目線でやってる。だってエジソン以来映像と物質の関係性ってあんまり変わってないしさ。
馬田:愛犬のことだけ考えていたい、みたいなところから、その「ピンポイント」が見つかる人もいるでしょうし、人によっていろいろありそうですね。逆に、やりたいことがない人だったら、キャリアをつくるという意味合いでは、例えば落合さんみたいに「やりたいことが山のようにある」っていう人の下につくと、いっぱい面白いことができるかもしれないですね。
(撮影:今村拓馬)
馬田隆明:東京大学産学協創推進本部 本郷テックガレージディレクター。日本マイクロソフトでの Visual Studio のプロダクトマネージャー、テクニカルエバンジェリストを経て、スタートアップの支援を行う Microsoft Ventures に所属。2016年6月より現職。近著に『逆説のスタートアップ思考』。
落合陽一:メディアアーティスト、筑波大学学長補佐 助教 デジタルネイチャー研究室主宰。Pixie Dust Technologies.Inc CEO。筑波大学でメディア芸術を学んだ後、東京大学で学際情報学の博士号を取得(同学府初の早期修了者)。2015年より筑波大助教。近著に『超AI時代の生存戦略』。