中国で現金はいらない——屋台も市場もタクシーも支払いはウィーチャット

私が客員研究員を勤める日本銀行北京事務所は北京市東部の幹線道路・三環沿いの地下鉄「国貿駅」のそばにある。通称CBDと呼ばれるエリアに位置し、グローバル企業がオフィスを構える。高級マンションやブランドショップが立ち並ぶ国際商業地区だ。

ウィーチャットでの決済

レストランでの会計はスマホ決済が常識。割り勘もお互いに送金すればいい。

撮影:西村友作

昼食時によく利用する老舗北京料理店がある。私のお気に入りは北京料理「酱爆鶏丁(角切り鶏肉ときゅうりの味噌炒め)」だ。食後はテーブルに座ったまま決済するのが北京スタイルだ。

「刷卡还是微信?(カード? ウィーチャット?)」

店員の問いかけに「現金」はない。同僚が代表してウィーチャットで支払う。テーブルの端に置いてあるPOPに印刷されているQRコードをスマートフォンでスキャン。我々が食べた料理の名前と値段がズラリと画面に表示された。料理や品数を確認すると、ウィーチャット上の支払いボタンをタップし指紋認証で完了となる。支払いにかかった時間はわずか数秒だ。店員は一切関与しない。

代金は約80元で、私が40元をウィーチャットで送金して割り勘の支払いを終えた。アカウントの中に残金がなかったため、あらかじめ紐付けておいた招商銀行の口座から直接支払ったが、送金手数料はかからなかった。

中国の市場

市場でも支払いはスマホだ。

撮影:西村友作

朝、通勤時に街角の屋台で油条(揚げパン)と豆乳を買うときも、仕事帰りに市場で野菜を買うときも、支払いはウィーチャットだ。深夜のタクシーでは、釣り銭で偽札をつかまされるリスクがあるため、必ずウィーチャットを使う。月ごとに出入金が項目表示されるため、家計簿をつける必要もなくなった。

ウィーチャットの画面

スマホさえあれば、支払いから各種の予約までできる。中国はスマホ大国だ。

レストラン、食堂、コンビニにとどまらない。道ばたで雑貨や青果などを売っている露天商から買うときもウィーチャット。公共料金や宗教施設でのお布施の支払い、また、紅包と呼ばれる祝儀やお年玉を個人間でやり取りする場合もウィーチャットを使う。朝から夜まで、年間を通して、スマホさえあれば、財布なしで北京の都市生活は完結する。

この「微信支付(ウィーチャットペイ)」サービスが始まったのはわずか3年前の2014年。たった3年で、北京市民が現金を触る頻度は激減した。

オンライン決済は「ネット」から「リアル」へ

中国経済成長の原動力は、従来の製造業・投資主導型からサービス業・消費型へと転換した。2016年の消費総額の伸び率は10.4%とGDPよりも高い伸び率で推移している。その消費増加の原動力となっているのがインターネット消費だ。

中国国家統計局の統計によると、2016年末における中国のインターネット消費額は5兆1556億元に達し、9年間で約100倍も増加した。消費総額に占める割合も、2007年には1%未満だったが、2016年には15.5%に達した。

近年のネット消費の高まりの背景にあるのがスマホ人口の急増だ。「中国互聯網絡発展状况統計報告」によると、スマートフォンによるインターネット利用者は、2008年の40%から2016年には95.1%にまで高まった。

近年のネット消費の高まりの背景にあるのがスマホ人口の急増

スマホ人口が爆発的に増える中国。

Billy H.C. Kwok / Getty Images

スマホの爆発的な普及に伴い、これまでパソコン上でしかできなかったネット決済手段を携帯することが可能となった。この移動性に目をつけたのが、ウィーチャットを運営する騰訊(テンセント)である。

ウィーチャットは、「中国版LINE」と呼ばれるスマホ向けチャットアプリだ。誰かと知り合うと、あいさつがわりにウィーチャットのアカウントを交換する。

私も新学期の初めての授業で学生にアカウントを公開し、クラス全員のチャットグループを作成する。資料の配布や課題の伝達のためだ。このように公私共に使われるようになったウィーチャットは利用者が9億人に迫る巨大プラットフォームとなった。

このプラットフォームに決済機能を組み込んだテンセントが、売る側にシェア獲得のために、大型商業施設から小さな商店まで、人海戦術でQRコードを配りまくった。こうしてウィーチャット決済は2015年から16年にかけて爆発的に普及。オンライン決済は「ネット」から「リアル」へと大きな発展を遂げた。

「信用」を制すものが市場を制す

もともと、オンライン決済に先鞭をつけたのは、ライバルのアリババだった。電子商取引最大手のアリババグループが2003年に開始したECサイト「淘宝(タオバオ)」は、都市部だけでなく農村などへき地など中国全土隅々に領域を広げ、今では日用雑貨から中古自動車や海外旅行まで、あらゆる消費材、サービスを取り扱っている。

アリババ

アリババ創業者ジャック・マー氏

Lintao Zhang / Getty Images

Eコマース黎明期、中国では人と人の信用関係が希薄で、ネット上ではそれが特に問題になっていた。商品が届いても壊れていたり、見本と違ったり、購入者からの支払いがされなかったりとトラブルが多発していた。当時はクレジットカードが普及しておらず、決済の利便性向上が課題でもあった。アリババが購入者と販売者の間に入ることでこの問題を解決。第三者オンライン決済プラットフォーム「支付宝(アリペイ)」である。

仕組みはこうだ。購入者がネット上で商品の購入手続きをし、代金は一旦アリペイへと支払う。注文を受けた販売者は商品を郵送。購入者は届いた商品の中身を確認し、問題なければネット上で支払いの手続きをすると、アリペイから販売者に代金が支払われる。

購入者と販売者の間にアリペイが入り金銭的な責任を持つことで、利用者に安心してショッピングできる環境を提供した。またタオバオは、購入者と販売者が互いに相手を評価しあう「信用評価システム」を採用しており、この信用記録が購入を決定する際の重要な判断要素となっている。

タオバオ登場まで、中国国内のネット通販で圧倒的なシェアを占めていた米国eBayは、アリペイや信用評価システムを武器に躍進したタオバオにシェアを奪われ、2006年に中国市場からの撤退を余儀なくされた。経済活動に必要不可欠な「信用」を「担保する」というビジネスモデルで、タオバオは大きく成長した。

決済金額ベースでみると、アリペイとウィーチャットペイの市場シェアは全体の約9割を占めており、さまざまな分野の囲い込みによるし烈なシェア獲得競争を繰り広げている。

例えば、アリババが運営するタオバオではアリペイのみ、第2位のECサイト「京東商城(JD.com)」ではウィーチャットペイしか使用できない。2016年に普及した自転車シェアリング事業においても、それぞれの運営会社との提携を積極的に進めている。私が昨年参加した北京マラソンの支払いではアリペイしか使えなかった。

ビッグデータを活用した信用情報サービスも始まった。

アリペイが提供する「芝麻信用(胡麻信用)」だ。これまで蓄積された大量の信用履歴や個人情報などを基に計算されるポイントで、アリペイが個人の信用を証明し、その他のサービスにその情報を提供している。例えば、信用ポイントが一定を超えるとホテルやシェア自転車のデポジットが不要になる。この情報を使って消費者金融でお金を借りることもできる。

「決済」という最も信用が必要な核心を囲い込んだアリペイとウィーチャット。今後はネットワーク外部性を利用しながら、ありとあらゆるサービスを囲い込み、さまざまなビジネスのインフラとして巨大な支配力をつけていくだろう。

(※一部画像が間違っていたため、差し替えました)


西村友作+BillionBeats:対外経済貿易大学副教授・西村友作と、ソーシャルプロジェクト・BillionBeatsによる、取材、調査、執筆チーム。BillionBeatsはニュースで報じられない中国人のストーリーを集積するソーシャルプロジェクトで、西村はその運営パートナー。2010年、中国の経済金融系重点大学である対外経済貿易大学で経済学博士号取得。2013年より現職。日本銀行北京事務所客員研究員。専門は中国経済・金融。

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