リベラルアーツ教育は東工大生をこんなに変えた

テクノロジー教育の重要性が叫ばれて久しい。Business Insiderが報じた「アメリカでもっとも平均年収が高い職業ランキング」によると、上位25職種中20職種が科学技術の専門知識を必要とする。一方、世界最大級のアメリカ資産運用会社ブラックロックは、リベラルアーツ専攻の学生の採用を増やしていると発表した。自動化によって人間の仕事のあり方が変化していく中、ロボットにはできない批判的思考や幅広い視野に基づいた思考ができる人材の必要性はますます高まっている。

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そんな中、理工系の国立大学である東京工業大学は2016年6月、学士から博士課程の合計9年間にわたってリベラルアーツ教育を行う、リベラルアーツ研究教育院を設置した。

配する講師陣はジャーナリストの池上彰氏、小説家の磯崎憲一郎氏など、著名な人文社会学系の学者や文化人だ。

導入から1年、東工大生はリベラルアーツ教育でどう変わったのか。

「役に立つ」教育が生む評価に最適化された学生たち

「100人のクラスで課題を出す。すると、必ず1人は『この課題の評価軸はなんですか』と聞いてくる。伝えると、みんなその評価基準に最適化された、ほとんど同じレポートを出してくる」

リベラルアーツ研究教育院長の上田紀行教授。

リベラルアーツ研究教育院長の上田紀行教授。このプロジェクトの旗振り役だ

リベラルアーツ研究教育院長である上田紀行教授は東工大生の一面をこんな風に形容する。

決められたシステムの中で出された問いに対して、効率的に最適解を出す能力のある東工大生。しかしその思考からは、既存のものを壊して新しいものを生み出していくイノベーションは生まれない。それどころか、評価軸を与えさえすれば疑わずに最適解を出せる人間は、権力者にとって支配することも簡単だ。

日本の大学教育は今岐路に立っている。実学重視の大学教育を求める声は経済界を中心に大きい。大学の現場ではそうした「すぐに役に立つ」教育への偏重から生まれた、効率化・成果主義重視の学生たちに対する危機感が高まっている。

上田教授はこう話す。

「システム社会の中で人間が自由になるために必要な教養。それが宗教や哲学なども含めた幅広い知の体系、リベラルアーツなんです」

MITで教えるのは「学び続ける姿勢」

そうした流れを背景に、東工大が前身のリベラルアーツセンターを設置したのは2011年。2016年に、リベラルアーツ研究教育院が発足し、リベラルアーツ教育が本格的にスタートした。

科学が日進月歩で進化している今だからこそ、学問の場で求められているのは、今の知識を吸収することではなく、自ら問いを産み、物事がうまくいかなくなった時に自分の力で立て直していく力だ。

上田教授は、2013年に視察に訪れたマサチューセッツ工科大学でこう言われたという。

「今の時代、すべての科学技術は5年で陳腐化してしまう。だから私たちが教えるのは、すぐに役立つ技術や最先端の科学ではなく、『学び続ける姿勢』そのものなのです」

大教室+少人数の「立志プロジェクト」

東工大のリベラルアーツ教育は、欧米と比べても特殊な編成になっている。2年目までに履修した教養科目を基に3、4年生で専攻を決めたり、4年生までのリベラルアーツ教育を基に大学院で専攻のスクールに進むやり方ではなく、すべての課程にわたって教養科目の履修が義務付けられている。

新入生は、大教室講義と少人数制講義が組み合わさった「立志プロジェクト」への参加が必須だ。

「一番最初の池上彰さんの現代社会についての講義がダントツで面白かった。話がするするつながっていって『え、もう終わってる!』って感じ」

そう語るのは第5類(電気・情報・通信・制御など)の1年生(女性)だ。

講義の後は、30人のクラスで、4人ずつのグループに分かれ、テーマに関するディスカッションをする。

「専攻が違う学生たちを混ぜた30人1クラスの授業。出された宿題を共有しあったりするのは他の授業にはない。普段混じり合わない人と一緒になるのが面白いし、類によって考えてることが違うんだなってわかった」。(第4類機械・システム制御・経営、1年、女性)

2年次はいったん、それぞれが希望の科目を選択し、3年になると再び1年生のときの「立志プロジェクト」のクラスで再会。「教養卒論」という授業で、ともにプロジェクトを進める。

実はこの授業スタイルも、国公立大学である東工大でリベラルアーツ教育を実現するための工夫だ。徹底的な少人数制を取る代わりに、授業料も高いアメリカのリベラルアーツカレッジ。主体的な学びのため少人数制は必須だが、予算はかけられない。東工大では、要所要所で少人数グループでのディスカッションを導入した。

「大教室でのパッケージ化された授業は『自分の存在が世界になんの変化ももたらさない』というメタメッセージを学生たちに発してしまう。4人のグループで互いに意見をフィードバックをしあうことで、自分の存在が世界に必要である、と感じてほしい」(上田教授)

東工大大岡山キャンパス

次世代のノーベル賞受賞者は、リベラルアーツを学んだ人材から生まれるのかもしれない。

「教養劇場化」がもたらす学生の変化

発した言葉に対して論理的な反応をすることには東工大生は秀でている。しかし、自分とは価値尺度が違う人に自分をフィットさせて話をしたり、人が話している向こう側のイメージに想像力を働かせて話を引き出したりすることは苦手だ、と語る上田教授。

また「つまらない質問をしてバカにされたくない」という理由で、授業中に挙手をして質問することを恥ずかしがる学生も多かった。

だが、リベラルアーツを学ぶことで少しずつ学生に変化が起こっている。

立志プロジェクトの発表では、かつては言わなかったような大きな「志」を語る学生が明らかに増えた。

「一見派手なクラスメイトが、『幼いころにペットを亡くしてしまったことがきっかけで、情報工学を学んで動物を救いたい』と言っていて、びっくりしました」(前述の第5類1年の女性)

少人数でのグループでの授業は「教養劇場化」という効果もあるという。つまりそれは、キャンパス内で学生たちがグループを作り、大きな問いについて語らうことで、他の学生たちにもポジティブな影響を与えることを狙ったもの。上田教授は「『こんなことまで言っていいんだ』という雰囲気を作りたい」と語る。

学内の生協で4、5月に売れた人文社会学系の本の冊数は、改革が始まる前は75冊。しかし昨年の売り上げは750冊に登り、2017年は1750冊にまで増加した。授業での質問回数も劇的に増えてきている。

両角康平さん(地球惑星科学科、3年生)は「言語学B」の授業で「しりとりの戦略」という最終課題を選び、ポスター発表をしたという。「もともと興味があって、それを発展させてみました」。

東工大の立志プロジェクトが実を結ぶには時間がかかるのかもしれない。

しかし、幅広い知の学びの連続のみが、次の時代をつくる発見や発明をする。人間性や創造性、社会性を身につけよという東工大のリベラルアーツの取り組みこそ、「イノベーション人材の育成」という大学の本来の役割を果たすものなのではないだろうか。

(撮影:西山里緒)

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