パソコンを攻撃するウイルスを探し出し、駆除する—— 。ほとんどのユーザーがインストールしているセキュリティーソフトはこうして、パソコンを守っている。検知・反応と呼ばれるこの仕組みは、セキュリティソフトでは“常識”となっているが、この“常識”に挑むベンチャー企業が現れた。4月に事業展開を本格化したベンチャー企業Blue Planet-works(BPw社)だ。
Blue Planet-worksの中多広志社長(左)と、坂尻浩孝執行役員。オフィスは古いビルの一室。
「99%安全という飛行機に乗りたいですか」
「ウイルス対策ソフトの広告には検知率99%と書いてある。でも、99%安全ですと言われて、その飛行機に乗りたいですか」
東京都渋谷区のオフィスで、中多広志社長(56)はこう切り出した。
BPw社は、中多社長が2013年に立ち上げた動画メッセージを提供するKeepTree社が前身だ。今年4月、米ブルーリッジネットワークス社(以下、ブルーリッジ社)から、サイバー攻撃対策技術であるAppGuard事業を買収した。買収の際、BPw社に集まった資金は55億円にのぼる。出資企業は、電通、ANAホールディングス、第一生命保険など8社で、そうそうたる大企業が並ぶ。
AppGuardのおおまかな仕組みはこうだ。
従来のセキュリティーソフトは、ウイルスを検知し、反応する。検知と反応のプロセスを何度も繰り返すことで、安全性の向上を図っている。新しいウイルスは次々に登場するため、セキュリティー関連の企業は日々、新種の情報を集め、ソフトを更新してユーザーに提供する。すでに存在を知られているウイルスは検知できるが、未知のウイルスは検知できないリスクがある。検知率99%あるいは99.9%という数字は、こうした弱点を反映したものといえるだろう。
ハッカーに破られていない「要塞化」技術
一方、AppGuardは検知をしない。AppGuardをインストールしたシステムは「適正な動作」はできるが、適正でない動作は未知か既知かを問わず、動作が遮断される。セキュリティーの世界で「要塞化」と呼ばれる技術だ。米国で毎年開かれているハッカーが技術を競う大会でも、要塞化の技術はいまのところ、破られていないという。
これだけの出資を集めているのに、オフィスは決して華美ではない。
検知をしないことから、日々ソフトを更新する必要はなく、ソフトのサイズも1メガバイト未満で軽い。6月27日に欧州で起きた、大規模なサイバー攻撃についても、BPw社は検体を入手し、防御可能であることを確認したという。
AppGuardは軽量であるため、電話や車の自動運転、IoT(モノのインターネット)などさまざまな分野への応用が可能だと言う。
中多社長は「これからはセキュリティーではなくセーフティー。完全ブロックを提供したい」と説明する。
BPw社はいまのところ、45平方メートルほどのオフィスに、社員8人。4月以降、ネットセキュリティー最大手であるシマンテックから、日本法人社長だった日隈寛和氏(47)と執行役員だった坂尻浩孝氏(54)が加わった。
なぜ、小さなITベンチャーに多額の資金と人材が集まるのか。
ANAホールディングスに問い合わせると、「駆除ではなく防御するというBPw社の成長性を高く評価し、ANAグループ全体のセキュリティー対策のため出資することとした」との回答があった。日本を代表する航空会社が、AppGuardを評価していることは分かったが、まだ、疑問は解消しない。
「来週からでも、働きますよ」
シマンテック日本法人の社長だった日隈氏が、AppGuardを知ったのは今年3月中旬の土曜日ことだ。知人を通じてメールでBPw社のプレゼン資料を受け取った。20年以上、ITの世界に身を置く日隈氏には、セキュリティー関連のベンチャーや新事業の売り込みが届くが、その多くが実を結ばない。「これもだめなんじゃないかな」と思いながら流し読みしていると、最後になって手が止まった。
「要塞化の技術は、アプリケーションごとにルールを設定する。書き込まれるルールはアプリケーションごとに数万行になる。現実的ではないが、書くことができるのなら、頑丈で堅牢なセキュリティが確保できるというものだった。このルール化を自動化することで簡潔にし、実用化に至ったのがAppGuardだった」
シマンテック日本法人社長から転じた日隈寛和・上席執行役員。
日隈氏はすぐに中多社長と連絡をとった。「これは、絶対に未来がある」と思ったからだ。週明けの月曜には日隈氏は中多社長に会い、「来週からでも働きますよ」と伝えた。
日隈氏からAppGuardの存在を聞いた坂尻氏は当初、「こんなのありえない」と思った。しかし、特許資料を読み込み、米側のエンジニアとも話をしているうちに、確信を深め、5月にBPw社に加わった。
ここまで取材を進めても、まだ大きな疑問が残る。それほど革新的な技術ならばなぜ、BPw社が買収できたのか。
米政府と関係が深い企業から買収
1990年代のはじめ、長銀総合研究所でニューヨークに駐在していた中多社長は、現地で幅広い人脈を築いている。BPw社の前身であるKeepTree社の動画サービスも、この時に築いた人脈で事業化している。
AppGuard技術の買収スキーム。
KeepTree社時代に、日本と米国で営業活動を進める過程で中多社長は2015年末、ブルーリッジ社の幹部から「日本に良いパートナーがいないか」と、 AppGuard技術の売却計画を持ちかけられた。ブルーリッジ社は、米国の政府機関との関係の深い企業だ。アドバイザリーのメンバーには、下院議長を務めたニュート・ギングリッチ氏ら、米政界の重鎮、米軍出身の大物が並ぶ。
BPw社の役員らの話を総合すると、米政府はこの数年、セキュリティ対策関連の外注費を抑制しており、受注企業側は、安全保障の観点から売却しても差し支えない技術など資産の整理を進めているという。こうした背景から、日本企業に白羽の矢が立ったというのだ。2016年5月ごろから、中多社長は、日本の商社や電機メーカーなどさまざまな企業を回って協力を呼びかけた。
「実現できるはずがない」「詐欺じゃないのか」
どの企業に行っても門前払いが続いた。会社の資金も出ていく一方だった。預金残高は一時、4万8000円に落ち込んだ。全く先の見えない営業の中、眠れない日々が続いた。
「怖くて怖くて。真っ暗闇でした」
数カ月たち、ANAなど一部企業のIT技術者の中に理解者が現れ、光が見えてきた。「応援してくれる人が出てきてくれて、本当にありがたかった」と振り返る。
資金も人材も得た。最近、オフィスも手狭になり、技術系のスタッフが作業をするためレンタルオフィスを借りた。
BPw社はいま、3年後の東京五輪を見据え、営業体制を強化している。リオデジャネイロ五輪では、五輪関連の中枢のシステムは、従来の検知・反応型の多重防御で守られたが、周辺の、政府機関やインフラを抱える企業はサイバー攻撃にさらされた。中多社長は言う。
「ベンチャーだからさまざまな障害もあるが、国も五輪も守り、日本の産業も育成できると本気で思っている。そういう気概でやっている」
(撮影:今村拓馬)