副業や兼業、リモートワークと多様な働き方に注目がかつてないほど集まる今、複業研究家として、このジャンルの若きオピニオンリーダーとなっているのが西村創一朗さん(29)だ。リクルートグループに在籍時代から、採用支援の傍ら数々の勉強会やイベントを手がけ、自ら3児の父親として父親の子育て促進にも奔走する。西村さんが提唱する副業でも兼業でもない「ボーダレスワーカー」という生き方、それを体現している人に会いに行く企画。1回目は「9枚の名刺を持つ」日比谷尚武さん(41)。
西村さん(左)と日比谷さん(右)。ボーダレスワーカーを訪ねる企画の第1弾に登場してもらった。
「一度はちゃんと組織に入った方がいい」と先輩から助言
西村創一朗(以下、西村): 組織やフィールドの枠を越えて働く“ボーダレスワーカー”に話を聞きに行きたいと思った時、まず浮かんだのが日比谷さんでした。名刺管理サービス「Eight」を展開するSansanで「コネクタ」という新たな仕事を“創職”し、社外でも勉強会主宰やNPOのサポートなど多岐に渡る活動をなさっていましたよね。そして今年に入って、あえて社員という立場から業務委託に切り替えて、活動を広げていて。そのフレキシブルな選択にも、すごく新しさを感じます。
日比谷尚武(以下、日比谷):僕の感覚としては、こういう働き方ってそんなに珍しいものなのかなぁと、注目されるのが不思議なくらいなんですけどね(笑)。
西村:たしか、学生時代からすでに仕事をしていたとか?
日比谷:はい。もともとNECの開発者だった父親の影響で自宅にパソコンがあって、小学生の頃からプログラミングをしているような子どもでした。その延長で開校したてだった慶応大の湘南キャンパスに入学したのが1995年。
西村 :「Windows95」が出た年ですね!
日比谷:まさに。周りにもインターネットに興味があるやつがいっぱいいるような環境で、独学でホームページを作ったりしていたら評判になって仕事として頼まれるようになりました。先輩が立ち上げたウェブ制作の会社で坂本龍一のライブをネット中継してみたり、当時としては先進的なことをやってましたねぇ。
このまま仕事を受注していても食っていけるなと思っていたら、社会人の先輩から「一度はちゃんと組織に入った方がいい」と助言をもらったんですよね。たしかに周りを見渡すと、でっかいプロジェクトを回すスキルというのは見よう見まねでは習得できないと思い直し。それで慌てて大学4年の夏に就職活動を始めて入ったのがNTTソフトウェアという会社でした。
西村:“修業”のために会社員デビューを選択したんですね。その時点で定年まで働くつもりは……?
日比谷:申し訳ないけれど、ありませんでした。NTTソフトウェアではプロマネのアシスタント業務などして4年くらい粛々とやっていて、HP制作やサーバ構築といったネット関係の複業も学生時代の延長で続けてました。もう時効ですが、当時は秘密でした。
企業は副業を認めてきちんと管理する方がいい
西村:いわゆる“潜伏”の“伏業”のほうだったんですね。
日比谷:うまいこと言うなぁ。でも、今でも結構いるんでしょうね。
西村:います、います。「副業をしている」と答える人の数と、副業容認の企業の公表数が合わないというリサーチもありますから。
日比谷:であれば企業もさっさと認めた方がいいかもしれない。
西村:認めて管理する方がリスクマネジメントもできるはずです。そういえば、日比谷さんもその伏業時代にヒヤリ体験があったとか。
日比谷:そうなんです。副業でサーバ構築の仕事をした時に、大量のスパムメールを送ってしまうというミスをしてしまってサーバがパンクしてクレームが一斉に……。苦い思い出です。結局、急遽数日間、本業を休んでトラブル対応に当たりました。原因は設定を一箇所間違えていただけだったのですが、確認やテストを十分にやれていれば防げたミスでもあり、だいぶ反省しましたね。
西村:それもまた副業のリアルですよね。本業とのバランスに慣れないうちは想定以上の作業量になった時に対応できなかったり、トラブル発生時に本業もあるからすぐに対応できないとか。
日比谷:その後1年くらいは副業謹慎していました。でも、基本のスタンスは、「声がかかったら乗ってみる」。それは今もそう。
「自分の足りない経験を求めて」探した次の場所
西村:その後、ベンチャー企業のKBMJを経てSansanに入ったんですよね。
日比谷:NTTソフトウェアでは粛々と修業をしていたわけですが、社外を見渡すと世の中はITブーム。やっぱりインターネット業界の最先端に触れていたいという気持ちが再熱していた頃に、後輩が作ったウェブサービス開発のベンチャーが営業やプロマネを探していると聞いて移ったんです。
西村:そもそも開発系の仕事を受けていた日比谷さんが、営業系の仕事を選んだというのは、何か理由が?
日比谷:もともと何でも屋で境目がないんです。学生時代から「画像も作るし、htmlも書くけれど、企画も仕切りもするよ」というスタンスでした。20代は一つの分野を極めるというより、いつも「自分の足りない経験」を求めて次の場所を決めていた感じですね。
西村:なるほど。
日比谷:その会社KBMJの最後の方はITバブルがはじけた影響で負の処理に追われる日々で。取締役だったのでリストラもしたりと、結構ハードでした。そもそも会社が拡大志向だったんですが、改めて考えると僕は「新しい技術を応用して新しいサービスを作ること」に興味があったんです。なので、「こういうことがやりたくてベンチャーで働くことを選んだわけじゃないんだよな」と思っていた矢先、たまたま中高時代の同級生が「新しい会社を準備中だから、ちょっと意見を聞かせてよ」と。それが面白そうな事業でいつのまにか「お前も一緒にやろうよ」と発展。それがSansanですね。前職は受託中心で自社製品のマーケティングを十分にできないことが歯がゆかったので、「ならばマーケティングをやらせてほしい」と言って入社しました。
西村:その後に広報、そして「コネクタ」という仕事に至る。この変遷のステップを教えてください。
日比谷 :僕は3〜4年の単位で、「興味や活動のフィールド」がシフトしていくんです。NTTソフトウェア時代はプロダクトマネジメント、KBMJ時代の前半は営業、後半は人事、Sansanに入ったらまずマーケティングに没頭しましたが、マーケティングを深めると「そうか、これからは“発信”が大事そうだ」と課題意識が変わって広報について知りたくなる。シフトする先は何でもいいわけではなくて、今いる場所の延長線上にあるんです。常に「次に何を吸収すべきか」と半歩先のフィールドを探っている感覚です。本業の未来予測、プラス好奇心ですね。
半歩先のフィールドを学ぶために始めた勉強会
西村:やみくもではなく、今いる場所の半歩先のフィールドに足を踏み入れて、徐々にシフトしてきたと。本業以外に、勉強会の主宰などもなさっていたのはどういう動機だったんですか?
日比谷: 自分のインプットのためです。半歩先のフィールドを学ぶために一番吸収率がいい勉強法は、その道のプロに会って話を聞くことだと、僕は思っているんです。3日かけて1冊の本を読むより、その著者にアポを取って目の前で30分話をしてもらうほうが、断然濃いインプットになる。言っていることは本と同じでも、目の前で本人に熱く語られると、それだけで自分のスイッチが入る。結果、行動が確実に変わる。と考えて、本気で勉強したい時には、僕はどんどんその分野の第一人者にアポを取ってきました。
人事や組織作りを担当することになった時は、ビジネススクールに野田稔さんの話を聴きに行ったり、広報を深めたくなったら当時オラクルの広報責任者だった玉川岳郎さんやケトルの嶋浩一郎さんにと。で、せっかく聞くならこの経験をシェアして横のつながりも作りたいということで、勉強会に発展したんです。
西村:ネット系に強い方がリアルに人と会うことを重視しているという点が面白いです。そのフットワークの軽さが、「コネクタ」という新たな職種につながったのでしょうね。コネクタは「人や情報をつないで価値を創る」職種と定義されていますが、仕事の評価軸としてはどう設定しているんですか?
正社員で同じ会社でずっと働く、というモデルから複数の仕事を同時に進める。そんな働き方を選びたいと思っている人は少なくない。
日比谷:Sansanでは「コネクタ帳」というシートを作ってまして、「いつ、どの部署の誰に、どんな課題に対して、何を紹介したのか」という実績を記録しています。これが実際のものですが……。
西村:すごい。コネクトの件数が、2014年が252、2015年が264。名刺交換の数も記録されていますね。
日比谷:数による定量評価のほか、実際の紹介が役立ったかをヒアリングして定性評価もしています。
西村:あらためて、コネクタの役割とは何だと思いますか?
日比谷: 種まきであり、ショートカット役ではないでしょうか。”事業の半歩先”の先回りをして、関係性をつくり、ものごとの推進を早める。
やりたいことを思い切りやるための選択だった
西村:特にベンチャーはショートカットした者勝ちな部分は大きいですしね。2016年12月にSansanの社員を辞めて、業務委託に切り替えたのはどういう思いからですか?
日比谷: 先ほど話したフィールドシフトの観点からいうと、広報を深めていく過程で行政官関係者やNPO、ロビイ関係者の方々と会ったりして、より公共的な関係者を巻き込んだアプローチに関心が広がっていったんです。Sansanは副業禁止なので、業務外の時間を使って公共政策コミュニケーション系の企業の手伝いや、NPOの支援をやっていたんですが、もう少し本腰を入れたいなと。もちろん、Sansanにも得意分野で貢献し続けたい。ならば業務委託で堂々と他のプロジェクトにも参加できるほうがいいよね、と会社とも話して、働き方のポートフォリオを組み替えた感じです。やりたいことを思い切るやるための選択でした。
西村:しかし、10以上のプロジェクトにも参加するというのは時間管理も大変ではないですか? ちなみに今、リアルな名刺の数としては?
日比谷: 9枚です。関わっているプロジェクト数としては現時点で15ほど。正直、ここまで増えてしまうのは想定外でした(笑)。知り合いから頼まれて「月1回のミーティングだけなら」と受けていった仕事が積み重なって……。複数のプロジェクトが並行することには慣れているんですが、案件が増えすぎるといざ「この分野はもっと深めたい」という時の機動力が鈍るデメリットがあるのは事実。ということで、この7月に2週間の休暇をとって座禅組んできます。
西村: え!? 座禅ですか。
日比谷: そう。インプットを遮断できればなんでもよかったんですが、自分が主催していた「他人に目標設定をしてもらう」というワークショップで提案されて即採用(笑)。独立して半年経ったタイミングで、一度自分をゼロベースで振り返りたいなと思っていたところなんです。
西村:うわぁ。じゃ、この記事が出る頃にはまた日比谷さんの働き方のポートフォリオが変わっている可能性も……。
日比谷 :ありますねぇ(笑)。
西村: では現時点の話として、これから先、やりたいことは何ですか。
日比谷: それがね、まったく決まっていません。向こう1〜2年はやはり渉外関係のフィールドで動いていきたいですが、半歩先に何を見出すかはまだ分かりません。
西村 :日比谷さんにとって働く上での指針となるものは何なのでしょう?
日比谷: 働く原動力はやはり好奇心を満たせるかどうか。興味を持てる分野で人に会ってインプットをして、それを所属先や関係する組織に還元して成果に結びつける。そんなサイクルを常に頭の中に描いています。
西村: なるほど。最後に、「心地よく働くための3カ条」を教えてください。
日比谷: 普段は深く考えていませんが、やはり一つは好奇心がわく分野に身を置くこと。そうでなければパワーが出ないので。修業も含めてという意味です。二つめは、先人や手本となる人から積極的に学ぶこと。最後は、自分の強みを活かすこと。身近な人にレビューをしてもらったり、エニグラムやキャリアアンカーのようなツールを試してみたり、強み探しは普段から意識するといいと思います。
西村:「強み探し」、とても大切ですよね。本業は「やらなければならないこと(Must)」の比重が多いからこそ、複業は「強み(Can)」や「本当にやりたいこと、実現したいこと(Will)」に時間を投資していくべきだと思います。今日はありがとうございました。
(撮影:今村拓馬)
日比谷尚武:慶應義塾大学在学中よりホームページ制作などの仕事を受注。NTTソフトウェア(現NTTテクノクロス)勤務、インターネット制作会社KBMJ(現アピリッツ)で取締役としてプロマネ・営業・人事に従事した後、Sansaに入社。「コネクタ」という新職種を開拓。2016年12月より業務委託契約に切り替え、現在はコネクタ兼名刺総研所長兼Eightエヴァンジェリスト。並行して、PRTable社外取締役、日本パブリックリレーションズ協会広報委員、一般社団法人at Will Work 理事など10以上のプロジェクトに参加中。
西村創一朗:複業研究家、HARES(ヘアーズ)CEO。首都大学東京法学系卒、2011年リクルートキャリア(当時リクルートエージェント)入社。中途採用支援、人事・採用担当の傍ら、2015年に複業の普及や育児と仕事の両立を目指すHARESを設立。2017年に独立。