「一応、公の場では相手をたてるべきなのかな、と」
20代から30代前半の部下が配偶者を「主人」と呼ぶのに、アラフォー(40歳前後)以上の女性上司や同僚がギョッとする現象が職場で起きている。主人、夫、旦那、パートナー、彼など、女性が配偶者を第三者の前で呼ぶ日本語はさまざまだが、「対等でありたい」とこだわってきた「(男女雇用機会)均等法第一世代」(1986〜1990年入社)や、仕事と家庭の両立問題に葛藤してきた「氷河期世代」(1990年代後半〜2000年代前半入社)で抵抗を感じる人が少なくないのに対し、「何かダメですか?」という、気軽な感覚が職場で議論を巻き起こしている。「主人」には、「あるじ」や「一家の長」という意味もあるが、ミレニアル世代(1980年以降生まれ)は気にならないのか?
ミレニアルご主人族
「どうして主人なの?夫でしょ?」
フリーランスのPRプランナーとして、複数の会社の経営陣と仕事をする宮沢麻奈さん(34)=仮名=は、PR担当する企業の女性経営者(42)に「いつもそう突っ込まれますね」と、苦笑いする。
宮沢さんは大学院修了後から複数枚の名刺をもってバリバリ働き、2児の母でもある共働き家庭だが、「主人派です。男性には男性の、女性には女性の特性があって、それも多様性かなと。平等平等にこだわりすぎるのも、かえって違和感があります」。
バリバリ働くからこそFacebookの投稿など、「みんなが見るSNSではあえて『ご主人さま』を使うことで、ちゃんと立ててるアピールの意味合いもありますね(笑)。それで円滑に進むならいいかなと」
25歳で結婚した、アパレル系のマーケティング会社勤務の女性(30)も「最近、主人と言い始めました。それまで旦那だったのですが、他の人がそう言っているのが上品で素敵だなと思ったからです」と、主人派だ。「今後はより主人にシフトしていきそう。言葉使いできれいに聞こえるから全然、抵抗ないです」という。
「平等にこだわりすぎるのも、かえって違和感」
保育園に2歳の子どもを預けて働く、30代の東京・白金在住の自営業女性は「小学校受験する人が多いのも影響しているかもしれませんが、周囲の働いているママ友も、みんな主人を使いますね。かなり親しくなっても主人。職種は金融の総合職が多いです」
商社で一般職勤務の女性(23)は「フォーマルな場では主人ということにあまり抵抗はないかな。旦那の知り合いの食事会に行くことがよくあるから、そこでは主人って呼ぶことが多いです」と、抵抗なく使い分ける。“ご主人族”に葛藤はない。
アンチ主人派の女性上司
「私は絶対に主人、とは呼びません。周囲の働く同年代もそう。必ず夫というようにしています」と話すのはマスコミ、IT企業で管理職を務めてきた女性(52)。20代から30代前半くらいの部下が、なんのてらいもなく「主人が」というのにギョッとする。
「それも嬉々として主人主人と言っているように感じて、はらはらしますね」
職場のアラフォー(40歳前後)から50代には意識的に「主人」を避けるという意見が少なくない。
外資系の大手化粧品会社の女性(40)も「旦那か旦那さん、夫かな。ママ友だとパパも使います。主人は抵抗ある。よっぽどフォーマルな時だけ。たいていは夫と言えばいいので、主人は古風に感じます」
元出版社勤務のフリーランスライター(39)は「主人は年に1回も使わない。仕事でも夫で貫いています。自分の母の周囲の専業主婦グループが主人、主人と言っていたのを聞いて『主人』は主婦の特権であり象徴のようなイメージがある」
全世代でもいまだに高い支持
しばしば議論になる「配偶者の呼び方」だが、同じ年代でも働いているのか、専業主婦なのか、どういう職場でどういう立場なのかによっても、「主人派」「旦那派」「夫派」は変わる。
「相手と場によって使い分ける」と答える「カメレオン派」も多い。とはいえ、試しに都内の企業で働く34歳以下を対象に、職場やSNSなど「改まった場でなんと呼ぶか」を聞いてみたところ、
1位主人(14人)、2位夫(9人)、3位旦那(8人)、4位彼(3人)、5位旦那さん、名前プラス呼称(いずれも2人)という結果に。38人中14人と、3割超が「主人派」だった。
「主人はちょっと対等という気がしない。英語のheと同じ意味で、彼」「自分も働いているので主人というより夫」という声ももちろんある一方で、「公式名称だと思っているので」「なんとなくマナー的に」といった理由で「主人」がもっと多い。大雑把な聞き取り調査に過ぎないが、「主人派」は根強い様子がうかがえる。
世代全体ではどうなのか。少し前の調査ではあるが、働く場に限らず「他人に話すときの配偶者の呼び方」を20—60代女性に聞いた、リクルートブライダル総研のアンケートによると、
1位旦那・旦那さん33.6%、2位主人28.6%、3位お父さん・パパ・おとうちゃん9.6%、4位名前9.2% 、5位夫7.8%ーとなり、旦那・旦那さんが多数派を占め、主人はそれに続く。
友人や近所なども含まれると想定されるため、カジュアルになった印象だが、一般的に主人派はそれなりにいるようだ。
働く女性を取り巻く30年は大きく変わった。
ご主人論争が起きるワケ
もちろん、専業主婦を含む40〜50代全体を見渡せば「主人」を使う人は多いし、ミレニアル世代にも「夫」や「旦那」にこだわる層も相当数いる。それにもかかわらず、職場で「ご主人」論争の起きる前提として注目すべきは、職場にいる50歳前後の女性上司のキャリア背景がある。
この層は、内閣府が「1986年施行の男女雇用機会均等法が施行された直後に、会社で基幹的業務を行うべく就職した人たち」と定義する「均等法第一世代」(1986〜1990年入社)に相当する。この年代で働き続けてきた人は「仕事か結婚か」の二択を突きつけられたケースがほとんどで、いわゆるバリキャリ系が多くなるのも事実。
ひと回り近く下の氷河期世代は、バブル崩壊後の採用抑制を経て、ようやく企業が女性総合職を本格的に採用し始めた世代で、子育てしながら働くことが一般的になった。実にこの世代まで女性は、結婚・出産で辞めることは"定番”だったといえる。ちなみに「『主人』という言葉が心底嫌い」と書いて話題になった作家の川上未映子さん(40)はこの世代だ。
「主人を使わないことにこだわる層は、アラフォー以上の意識高い系、学歴高め、男性に負けたくない、評価されたい、男女は絶対対等!という方が多いというイメージです」
元メガバンク勤務で30代の自営業女性はいう。
女性が職業をもつことに対する意識は、1990年代初めから大きく変わっている
出典:男女共同参画白書2017年版
2016年4月に女性活躍推進法が施行され、今でこそ女性管理職を増やそうという風潮があるが、均等法第一世代が過ごした20代、30代は、女性管理職など“希少品種”だった。男女が対等でなかったからこそ、対等であろうと道を切り開いてきた世代でもある。氷河期世代にしても、子育てしながら男性同様に働き続ける世代のパイオニアで、かつ、配偶者は長時間労働が「当たり前」であることが多いため、家ではワンオペ(一人ですべて回す)育児になりがちだ。
「大きな組織でものすごくがんばって戦わなくてはならなかった人だと、男女間の格差に問題意識が強くなるのかもしれませんね。私は女だから不利という思いをあまりしたことがないんです」
前述のフリーランスのPRプランナーの宮沢さんはいう。
男女が平等だという意識をもって育った年代や層は、かえって主人などの呼び名にこだわらないのか。
実は浅い主人の歴史
「実は『主人』という語が夫を指すようになったのは、古くからではありません。戦後、『専業主婦』という役割が増加し大衆化した時期に『主人』という言葉も大衆化したといえます」
明治大学商学部教授で、社会学専門の藤田結子氏は、そう指摘する。藤田氏が文献として挙げる『気になる言葉ー日本語再検討』(1987年、遠藤織枝著)によると、大正から昭和初期までは「夫」が主流を占めていた。やがて戦後に「夫」と同じくらい「主人」が使われるようになり、現在では夫を上回る傾向がみられるという。
では、共働きが増えた今、なぜ一部の20〜30代女性が「主人」という言い方をするのか。藤田氏は
① 夫が上だと思って「主人」を使う
②ほかに適当な言い方がない
③主従関係なんて思っていない。符号として使っている
の3つの可能性を指摘する。
「今の30代(以下)の女性たちは、一般的に『男性が上』『夫が上』という意識は弱くなっているので、①ではないといえます。現代では『ダメ夫/クズ夫/ゼロ夫/イケダン』などという、妻から見た夫の善し悪しを表現するかつてはなかった俗語が、よく使われています。今の女性たちは、妻が夫の善し悪しを判断してもよいと思っているわけです」(藤田氏)
つまり妻は夫と対等という意識があるといえる。
そうすると「②他に適当な呼び方がない、③主従関係とは思っていないけど符号として使っている、である可能性が高いでしょう。よって、『男女平等に育った層ほどかえって主人にこだわりがない』とは言えると思います」
ただ、藤田氏は「『主人』という言葉の意味には、主従関係が含まれている。伝統的な性別役割分業意識を変えていくには、ほかに適当な言い方が生まれて、それが広まっていくのがよいのでは」との立場だ。
もちろん配偶者の呼び方は人それぞれだが、力関係や場の空気を「読んで」使い分けるのが日本語。「会話の相手をどう見ているか」「ジェンダーへの価値観」など、呼び方の示す情報量は決して少なくないだけに、議論は尽きないようだ。男女雇用機会均等法の施行からの30年あまりで、働く女性を取り巻く環境は目まぐるしく変わった。ご主人論争はその象徴なのかもしれない。
(撮影:今村拓馬)