19世紀のロンドン
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すべての生き物がそうであるように、都市にも寿命がある。ロンドンはテムズ川沿いの古代ローマの居留地としてはじまった。今日、860万人以上がこの地に住む 。15枚の地図、絵画、そして古い写真を通して、この首都の風景の変遷を見てみよう。
西暦43年にローマ帝国によりロンディニウム(現ロンドン)が創建された。西暦200年頃のロンディニウムを描写したこのイラストでは、テムズ川にかかる最初の橋が描かれている。
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10世紀に建造されたウェストミンスター寺院。世界遺産に登録されている。ロンドンでもっとも古く、そしてもっとも重要な建造物の1つだ。この絵は、1749年頃のもの。
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完成後まもなく、ウィリアム1世(ノルマンディー公)は、1066年のクリスマスにイギリス国王としてここで戴冠した。
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11世紀、ロンドンはイギリス最大の港を持つようになった。
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12世紀、英国王立法廷の規模は大きくなり、より洗練されるようになった。この頃、ウェストミンスター地区へ移転。
ウェストミンスターのオールド・パレス
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1176年、ヘンリー2世は新たな石橋の建築を命じた。1284年に完成。最初の石造りのロンドン橋は、600年以上にわたり、その役目を果たした。橋の上には家屋や商店が建てられた。時間とともに、その重みで橋は押し下げられていった。
「View of London Bridge」(ロンドン大橋の眺め)という油絵。クロード・デジョン氏が1632年に描いた。
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15世紀初頭の印刷技術の進歩により、市民は新聞を読めるようになった(国民全体の識字率が向上した)。また、カフェは市民が気軽に議論ができる場所として人気スポットになった。
1660年頃のロンドンのカフェ
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17世紀、ロンドンでペストが大流行し、約10万人の市民が死亡した。1666年にはロンドン大火が発生、街の復興に10年かかった。
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1700年代を通して、ロンドンは貿易の中心地として栄えた。
1750年頃のロンドン大橋
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ジョージ王朝時代 (1714年から1830年)には、メイフェア地区のような新しい地区が開発された。さらに、テムズ川をまたぐ新しい橋の建設により、ロンドンの南側の開発も進んだ。
1814年のロンドンのトラファルガー広場
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19世紀中頃、ロンドンはヨーロッパの金融センターとしての地位をアムステルダムから奪った。
1860年代のロンドンの道
James Hedderly
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そして、イギリス海軍は世界で最強となった。
19世紀後半のロンドン
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ロンドンは1831年から1925年まで世界最大の都市だった。ニューヨークに抜かれるまでは。
プライス社の蝋燭工場群(1928年)。
Heritage Calling
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人口と交通量の増加に対応するため、1860年代後半には、世界初の地下鉄建設が始まった。
Metropolitan District Railwayの地下鉄工事(1866年から1870年)
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ロンドンは世界経済の中心地として、現在でもその地位を維持している。
1950年代頃のロンドンピカデリーサーカス
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現在、860万人以上の人々が暮らしている。
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[原文:Amazing images of London show the city's evolution over nearly 2,000 years]
(翻訳:Conyac)